Search

検索したいワードを入力してください

2020年10月10日

関ヶ原の戦いの戦死者数は8000人だった?関ヶ原の戦い解説

更新日:2020年10月10日

関ヶ原の戦いの戦死者数は、8000人だと言われていますが本当でしょうか。戦国時代の戦い方について、関ヶ原の戦いのきっかけ、総動員数、戦死者などについて、解説していきます。また、関ヶ原の戦いの戦死者がどうなったのか、その後の供養についても紹介します。

関ヶ原の戦いの戦死者数は8000人だった?関ヶ原の戦い解説
「お葬式ってものすごいお金かかるって聞いて不安に感じる。」
「そもそも何をしたらいいか分からない。」


そんな不安をすべて解消するのが日本有数の受注数の「小さなお葬式」です。

葬儀の手順から準備までのすべての手順を、「小さなお葬式」が選んだ一流のコンシェルジュにおまかせできます。

シンプルな葬儀プランは14万円からご利用可能で、お坊さんの寺院手配(お布施込)プランも5.5万円で合わせて利用可能です。

大切な人のいざというときに利用できるように、まずは無料で資料請求しておきましょう。

戦国時代とは

戦国時代とは、日本の15世紀末~16世紀末頃、多くの戦が起こり、戦国大名が群雄割拠した時代のことを言います。

諸説ありますが、一般的には1467年の応仁の乱、1493年の明応の政変頃を戦国時代の始まりとし、1568年の織田信長の上洛または1573年の信長による将軍足利義昭追放、1590年の豊臣秀吉が小田原征伐辺りを戦国時代の終わりと考えます。

信長上洛、足利義昭追放は安土桃山時代の始まりともされます。

戦国時代の戦い方

戦国時代の戦は、まず戦を行うかどうかを話し合う「軍評定(いくさひょうじょう)」と呼ばれる会議から始まりました。映画になったことで有名な清洲会議も関ヶ原の戦いの名場面の1つとされる小山評定も、軍評定の1つです。

戦を行うことが決まると「陣触(じんぶれ)」が出され、合戦を行う地まで軍が移動します。戦地でぶつかり、「鬨(とき)の声」をあげ戦意を高めた両軍は、矢や鉄砲で交戦を始め、白兵戦へとなだれこみます。

関ヶ原の戦いを解説

実際には戦国時代が終わった後の戦いとなりますが、戦国時代の有名な戦というと、関ヶ原の戦いを思い浮かべる方も多いことでしょう。

関ヶ原の戦いとは、どのようなものだったのでしょうか。関ヶ原の戦いの総動員数や戦死者について紹介していきます。

1:関ヶ原の戦いとは

豊臣秀吉の死後、後継者の秀頼を五奉行五大老のメンバーが支えていましたが、豊臣政権の内部にさまざま確執や対立が起こり、政争へと発展していきます。

豊臣政権の政争に端を発し、毛利輝元を総大将とした西軍と、徳川家康を中心に構成された東軍の戦いに発展し、日本の各地で戦が行われましたが、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦を関ヶ原の戦いと呼びます。

2:関ヶ原の戦いの総動員数

現在、関ヶ原の戦いの総動員数の正確な数はわかっていません。

長い間、明治26年(1893)に刊行された、参謀本部編纂『日本戦史』に記載された布陣図、動員数が喧伝されてきましたが、最近ではこれは明治時代の創作であり、史実とは異なるといった説が有力となってきています。

家康方の軍勢は、四万人程度に家康が江戸城から直率した軍を足したもの、『真田家文書』によれば石田・毛利方の兵力合計が19万人とされています。

3:西軍

現在、一般的に「西軍」と呼ばれていますが、これは関ヶ原の戦いより100年も後の軍記物の中で使われ始めた呼称で、実際の戦いは東西の戦という単純な構図ではありませんでした。

西軍と呼ばれるのは、五大老であった毛利輝元を総大将に、五大老の宇喜多秀家、五奉行であった石田三成らを中心に構成された陣営です。

4:東軍

東軍される徳川家康方の軍勢は、福島正則、細川忠興といった豊臣恩顧の大名らと、軍艦として徳川家の井伊直政・本多忠勝が、東海道方面から上っています。

中山道から関ヶ原に向かった徳川秀忠の軍は、真田家の守る上田城での戦いで足止めされ、関ヶ原の戦いには間に合いませんでした。

5:関ヶ原の戦いの決着

関ヶ原の戦いを描いたドラマや小説では、どちらにつくべきか迷う小早川秀秋にしびれを切らした家康が鉄砲を撃ち込むというシーンが描かれることがよくありますが、実際にには小早川秀秋は開戦早々に寝返ったと言われています。

福島正則と宇喜多秀家の隊の間で鉄砲の撃ち合いとなり始まった合戦は、開始すぐに小早川秀秋が裏切り、大谷吉継が討死、正午頃には石田三成の隊は総崩れになって、敗走が確定しました。

6:関ヶ原の戦いの戦死者

関ヶ原の戦いでは総動員数自体もはっきりとわからないため、戦死者についても同じく正確な数は現代に伝わっていません。

一説には、戦死者は6000人とも8000人とも言われています。

戦国時代の戦は矢や鉄砲の撃ち合いという遠戦で開始され、関ヶ原の戦いも宇喜多隊と福島隊の鉄砲の撃ち合いで始まりましたが、1500石級の武士でも鑓や刀による白兵戦を行った記録も残っており、ある程度の戦死者は出たことが想像できます。

関ヶ原の戦いに関連する書籍

関ヶ原の戦いをきっかけにして、徳川家康が豊臣政権の中で権力を手に入れ、その後、幕府を開くに至ったという経緯があるため、なかなか正確なことが伝えられていないのが関ヶ原の戦いの実情です。

実際の総動員数も戦死者の数も、史実が正確に伝わっていない関ヶ原の戦いですが、江戸時代から軍記物の題材としてだっただけあり、フィクション、ノンフィクションを問わず多くの書籍が発売されています。

1:関ヶ原<上> (新潮文庫)

『関ヶ原』は、司馬遼太郎による関ヶ原の戦いを描いた歴史小説で、『国盗り物語』『新史太閤記』に続く司馬遼太郎による「戦国三部作」の最終作という位置づけです。

歴史上のできごとに楽しみながらふれるという意味では小説は最適なエンターテインメントです。しかし、司馬史観という言葉があるように、歴史を学んで憶えるために利用するのではなく、あくまでも小説家による脚色がされた作品と理解して読むのがよいでしょう。

合戦場の地理的な描写が気に入っています。司馬作品の中でも楽しめる作品です

出典: http://amzn.asia/d/6xYUN0z |

2:新解釈 関ヶ原合戦の真実

現代まで多く小説や映像化の題材とされてきた関ヶ原の戦いですが、実はそのほとんどが史料に基づくものではなく、江戸時代以降に語られてきた軍記物などのフィクションによるものがほとんどだと言われています。

本書では、新出の一次史料や同時代史料を駆使して、徳川史観に基づいた「脚色」のなされた数々の名場面や動員数、布陣図などに疑問を呈しています。関ヶ原の戦いの真実の歴史を知りたいという方にです。

事実かどうかは誰にも分かりませんが、新たな解釈が多くて面白いです。一気に読めました。

出典: http://amzn.asia/d/j2v4fet |

3:関ヶ原合戦公式本

本書は、2014年に行われた第1回関ヶ原検定の対策用テキスト「ドキュメント関ヶ原合戦全史」を収録、3・2級用の模擬問題がついた検定公式問題集です。

第1回関ヶ原検定は終わってしまいましたが、関ヶ原町公認の決定版だけあり参戦武将の旗指物、布陣図など巻頭のカラー解説も豊富です。

関ヶ原の古戦場を訪れたいと考えている方、小説やドラマでしか知らなかった関ヶ原の歴史を知りたいという方の最初の1冊にです。

今でも大河の徳川三代で
関ヶ原の経緯を見ているが、
ドラマに描かれない場面や、
エピソードなどが載っていて面白い。
文章ばかりだが、
さすが公式本を名乗るだけ詳しい。

出典: http://amzn.asia/d/1JrAfjS |

関ヶ原の合戦を映像で楽しみたい方に

関ヶ原合戦をエンターテインメントとして映像で楽しみたい方には、司馬遼太郎の『関ヶ原』を映画化した2017年の映画がです。

主演は岡田准一で石田三成を演じています。監督は原田眞人、興行収入23億円超という大ヒット作のブルーレイ作品です。国民的小説である『関ヶ原』ですが、実は原作として映画化されたのは、2017年のこの作品が初めてのことです。

岡田准一の演技凄かった。役所さんの貫禄素晴らしかったですね。

出典: http://amzn.asia/d/7N81c2W |

戦国時代の死者の供養

ドラマや映画、小説といったエンターテインメントでは、なかなか戦の後に戦死者がどのようになったかといったことまでは言及されないことがほとんどです。

戦死者の多かった戦国時代、戦死者の供養はどのように行われていたのでしょうか。戦死者は他の亡くなった方たちのようにお墓に埋葬されることはあったのでしょうか。戦国時代の戦死者の供養について、見ていきます。

関ヶ原の戦いの戦死者の供養

関ヶ原の戦いの古戦場の史跡の中に、「西首塚」と「東首塚」があります。西と東という名は、それぞれ西軍関連、東軍関連の戦死者が埋葬されているからだという説もあります。

家康による首実検が行われた後、家康は関ヶ原の領主であった竹中重門に命じて、戦死者を埋葬させました。竹中重門は、竹中半兵衛の嫡子です。

西首塚は、胴塚とも呼ばれ、地元の人々によって奉納された千手観音と馬頭観音が安置されています。

戦国時代の戦死者の平均

戦国時代の戦死者の正確な数は、兵の動員数と同じくわかっていません。矢や鉄砲で遠くから敵を攻めることが多かったため、戦死者はそれほど多くなかったのではないかという説もあります。

戦国時代の有名な戦のひとつ、川中島の戦いでは、第四次合戦の八幡原の戦いで多くの戦死者を出しました。上杉軍が13000人のうち戦死者が3000余、武田軍が本隊8000人、別働隊12000人のうち戦死者が4000余と言われます。

関ヶ原の戦いについてもっと知ろう

戦国時代について、関ヶ原の戦いのきっかけから決着、動員数や戦死者の数についてなど、紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。

ドラマや小説の中で、これまで数多く語られてきた関ヶ原の戦いですが、定説と思われていることが史実とは異なっているということが、最近ようやく指摘されるようになってきました。

関ヶ原の戦いについて、常識だと考えている点をもう一度調べてみると意外な発見があるのではないでしょうか。
「お葬式ってものすごいお金かかるって聞いて不安に感じる。」
「そもそも何をしたらいいか分からない。」


そんな不安をすべて解消するのが日本有数の受注数の「小さなお葬式」です。

葬儀の手順から準備までのすべての手順を、「小さなお葬式」が選んだ一流のコンシェルジュにおまかせできます。

シンプルな葬儀プランは14万円からご利用可能で、お坊さんの寺院手配(お布施込)プランも5.5万円で合わせて利用可能です。

大切な人のいざというときに利用できるように、まずは無料で資料請求しておきましょう。

初回公開日:2018年12月22日

記載されている内容は2018年12月22日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

Related