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2019年01月24日

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名

聖徳太子の名前や、その偉業は学校でもん学ぶため、知っている人は多いです。しかし、学校の授業では簡単にしか学ぶことがないため、聖徳太子の本名や、本名とは別の呼び名が多くあること、伝説的なエピソードなどまでは知らないという人も多いです。

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名

聖徳太子ってどんな人?

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
多くの人が知っている歴史上の人物の1人に聖徳太子がいます。聖徳太子は小学校や中学校などの歴史の授業でも登場します。

しかし、学校の授業ではサラサラと内容が進んでしまうため、聖徳太子がどのような時代に、どのようなことをしたのかなどの簡単な説明だけで済んでしまいます。

そのため、聖徳太子がどのような人であったのかというような詳細にまで触れないことが多く、名前を知っているだけという人も多いです。

いつの時代の人?

聖徳太子は約1500年ほど前の時代である飛鳥時代に政治家として活躍した人です。当時政治家として、いろいろな偉業を成し遂げたことから歴史上の人物として取り上げられています。

飛鳥時代は仏教文化が広まったり、遣隋使を派遣して日本初の外交が行われたりなど、日本の歴史において、時代の大きな節目となった時代です。その飛鳥時代は聖徳太子が摂政になった593年から藤原京への遷都が完了した694年となります。

聖徳太子の主な偉業

聖徳太子が政治家として成し遂げた偉業はいくつかあります。

学校の教科書に載っている内容では、推古天皇の政治を手助けする摂政政治を行っていたことや、朝廷に仕える臣下を12の等級に分けて、地位を表すようにした冠位十二階の制定、官僚や貴族に対する道徳的な規範が示した十七条憲法の制定などがあります。

また、小野妹子を遣隋使として派遣したりなどして、隋の文化や習慣などを積極的に日本文化に取り入れようとしました。

聖徳太子は本名じゃない?

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
学校の教科書では当然のように聖徳太子という名前が出てきます。しかし、聖徳太子という名前は本名ではなく、正確には諡(おくりな)です。諡とは生前に大きな功績を残した人が死後に与えられる称号のことです。

なので、聖徳太子という名前は、聖徳太子が亡くなってから、その功績を讃えて付けられら名前のため、聖徳太子は本名ではありません。

「聖徳太子」は死語に送られた称号

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
上記で述べたとおり、聖徳太子は本名ではなく諡です。諡は大きな功績を成し遂げた人に贈られる死後に付けられる名前です。

聖徳太子は摂生政治、冠位十二階の制定、十七条憲法制定、遣隋使の派遣など、いろいろな大きな功績を残しています。そのため、聖徳太子は死後に諡が与えられ、聖徳太子と呼ばれるようになりました。

なので、聖徳太子は本名ではないため、日本書紀などでは聖徳太子という名前で記述されていないこともあります。

聖徳太子の本名は?

聖徳太子は諡です。諡は死後に贈られる名前のため、聖徳太子は本名ではありません。聖徳太子の本名は厩戸であり、生前は厩戸王(うまどおう)などと呼ばれていました。

これは、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が馬小屋の前を通ったときに、急に産気づいてその馬小屋で出産が行われたことが名前の由来と言われています。ただし、聖徳太子の本名については諸説あります。

聖徳太子にはたくさん別名があった

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
上記で述べたとおり、聖徳太子の本名は厩戸です。聖徳太子は本名ではなく、死後に贈られた名前なので、生前はその名前で呼ばれることはありませんでした。

なので、生前は本名である厩戸と呼ばれていました。しかし、聖徳太子の本名については諸説あるため、本名が別であったり、別名で呼ばれたりなどすることもあったと考えられています。特に別名については、多くの種類があります。

1:豊聡耳

聖徳太子は10人の話しを同時に聞き分けたという有名な伝説があります。その人の話しを聞き分けることができることから、本名とは別に豊聡耳(とよさとみみ)と呼ばれることもあったそうです。

2:上宮王

聖徳太子伝記として最古の物である上宮聖徳法王帝説では、聖徳太子のことを上宮王(うへのみやのみこ)と記述されています。そのため、上宮王と呼ばれることもあったと考えられています。ただし、上宮聖徳法王帝説は作者、成立年代が不明な伝記でもあります。

3:上宮太子聖徳皇

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
法隆寺の建立に聖徳太子が関わっていることは有名です。その法隆寺の建立時期や経緯については、聖徳太子伝私記に記述されている。この聖徳太子伝私記は法起寺三重塔露盤銘という中世の記録された史料が引用されている。

その法起寺三重塔露盤銘には聖徳太子のことを上宮太子聖徳皇と記述されていたと言われています。ただし、法起寺三重塔露盤銘は、文意不明な部分もあり、そもそも法起寺三重塔露盤銘の実物が現存もしていません。

4:上宮之厩戸豊聡耳命

学校の授業でも登場する日本最古の歴史書である古事記にも、聖徳太子の名前が登場します。ただし、その名前は聖徳太子ではなく、上宮之厩戸豊聡耳命(うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと)として登場します。

5:豊耳聡聖徳

先に述べたとおり、聖徳太子は10人の話しを同時に聞き分けたという伝説があります。そのため、豊聡耳と呼ばれることもあったようです。また、後の聖徳太子に関する伝記では、豊耳聡聖徳と呼ばれることもあったようです。

6:豊聡耳法大王

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
聖徳太子は皇太子として亡くなっているため、天皇にはなっていません。また、法王という位もありませんでした。そのため、聖徳太子が法大王という位に即位したことはありません。

しかし、聖徳太子が10人の話しを同時に聞き分ける能力の高さを、単に豊聡耳と呼ぶのではなく、豊聡耳法大王(とよとみみののりのおほきみ)と呼ばれることもありました。豊聡耳法大王の記述は日本書紀にあります。

7:法主王

法主王(のりのうしのおほきみ)という位も聖徳太子のいた時代にはありませんでした。しかし、聖徳太子のことを日本書紀で法主王と記述していることもあります。なので、聖徳、聖王、法主王などは聖徳太子の死後に作られた別名でありと考えられます。

8:東宮聖徳

日本書紀では聖徳太子の名前がいくつも出てきます。本名である厩戸皇子以外に、先に述べた豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王なども出てきます。また、東宮聖徳という呼び方でも登場します。聖徳と入っているため、東宮聖徳も聖徳太子の死後に作られた別名であると考えられます。

9:厩戸豊聰耳聖徳法王

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
聖徳太子には本名以外にも、いろいろな呼び名があったと考えられています。いくつも呼び名があるため、その名前を組み合わせて使われることもあり、厩戸豊聰耳聖徳法王と呼ばれることもありました。

10:上宮厩戸

先に述べた、聖徳太子の最古の伝記である上宮聖徳法王帝説でも日本書紀と同様に、聖徳太子のことをいろいろな呼び方をしています。上宮厩戸もその1つとなります。

11:厩戸皇太子

聖徳太子は馬小屋で生まれたことから、本名が厩戸であったとされています。聖徳太子は生前は皇太子でした。そのため、本名である厩戸に王や皇太子を付けて、厩戸王や厩戸皇太子とう呼ばれることもあったと考えられます。

聖徳太子のことを知る

聖徳太子は学校の教科書にも載っているため、多くの人がその名前を知っています。また、聖徳太子の行った偉業についても知っている人は多いです。

しかし、聖徳太子がどのような人であり、何がすごかったのかよくわからないという人もいます。また、聖徳太子は実在しなかったという説まであります。そのため、聖徳太子のことを深く知りためには、教科書や参考書だけでは不十分です。

史実の検証と言えば
一次史料、二次史料などを
徹底的に読み込むことだとばかり思っていた。

確かに本書でも史料の検証は行なわれている。

しかし、美術史や建築史の観点から
仏像や建築物の造形を検証し
歴史の真実に迫っていくという手法は新鮮だった。

出典: https://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%A... |

聖徳太子の人物エピソード

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
聖徳太子は多くの偉業を遂げています。しかし、偉業を遂げるだけでなく、聖徳太子にはいくつかの伝説的なエピソードもあります。これらのエピソードからも、単に歴史上の人物としてではなく、聖徳太子という人物の凄さがよくわかります。

1:馬小屋で生まれた

聖徳太子の本名は厩戸です。その本名の由来は、聖徳太子の母が馬小屋の前を通ったときに、急に産気づいてその馬小屋で出産が行われたことと言われています。

このエピソードはキリストの誕生に類似しています。そのため、キリスト教は飛鳥時代に伝わり、キリストのように偉い人になって欲しいという意味を込めて厩戸としたと、本名の由来を考えている人もいます。

2:いっぺんに10人の話を理解した

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
聖徳太子の有名な話しとして、10人の話しを同時に聞き分けたということがあります。このことから聖徳太子は本名とは別に、豊聡耳と呼ばれることもあったと言われています。

しかし、同時に10人の話しを聞き分けたのではなく、10人の話しを聞いてから、1人1人に的確な返答を順に行ったという説もあります。この説が正しかったとしても、10人の話しを記憶しておくことができる高い記憶力があったということになります。

3:予言が的中した

聖徳太子は未来を見通す力があったというようなことが日本書紀に記述されています。その聖徳太子の予言は未来記と未然本紀にまとめられています。

その予言は鎌倉幕府の成立や、南北朝の争乱、豊臣秀吉、徳川家康の天下統一、第二次世界大戦の勃発などを的中させたとも言われています。

また、聖徳太子の予言には、まだこれから起こるであろうことも記述されています。その内容には日本の壊滅的な状況に陥ることも含まれています。

4:聖徳太子の死因

聖徳太子伝暦という書で、聖徳太子は自分の墓を作らせていたことが記述されています。さらに、その墓の完成は期日を決めて、完成を急がせたとも記述されています。

墓が完成すると、聖徳太子は3人目の妻である膳部菩岐々美郎女に「あの世へ行くから一緒に行こう」と告げると、翌朝には2人が亡くなっていたと言われています。聖徳太子は自分の死期を悟ったという説もあれば、自ら命を絶ったという説もあります。

5:7種類のお札の肖像になっている

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
聖徳太子はお札の肖像に採用をされています。その回数は7回で、聖徳太子は日本のお札の肖像として採用された回数が最も多い人物でもあります。

お札の肖像として採用されるための条件は、実在した人物であること、知名度が高いこと、高い功績を持っていること、明確な肖像画や写真があること、国際性のある人物などがあります。聖徳太子はこれらの条件を満たしているため、お札の肖像に採用されやすい人物となっています。

聖徳太子の本名を知ろう

聖徳太子は本名じゃない?聖徳太子の正式名称と11の別名
聖徳太子のことは学校でも学びます。しかし、授業ではその偉業を簡単に学ぶだけとなってしまうため、聖徳太子がどのような人であったかなどまでは学びません。

そのため、聖徳太子には本名があることや、本名とは別の呼び名が多数あること、伝説的なエピソードがあることなどまでは知らないという人も多いです。聖徳太子にの存在には多くの謎もあるため、深くすると面白みを感じるようになる人もいるでしょう。

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