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2020年10月10日

名古屋城の歴代城主17人とはどんな人物?名古屋城の歴史

更新日:2020年10月10日

名古屋城は、日本に数ある城中でも由緒あるお城として有名です。ここでは、そんな名古屋城を治めていた城主に注目しています。1代目城主から最後の17代目城主までの特徴を紹介しているので、名古屋城に関心がある人はチェックしていきましょう。

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名古屋城とは

名古屋城は、愛知県名古屋市中区本丸にあるお城です。16世紀の前半には、名古屋城の原型になる城ができたという説があるほど、歴史のあるお城です。

現在ある名古屋城は、名古屋空襲に逃れた部分と後に再建された部分の両方があります。さらにコンクリートで再建された天守の部分を従来の木造建築に戻そうという取り組みも積極的に展開されています。名古屋のシンボルとして、多くの人に愛されている存在です。

日本三大名城の1つ

名古屋城は、姫路城や大阪城、熊本城などと共に日本三大名城に数えられることが多いです。日本三大名城は、将軍徳川家が城主だった江戸城を除く有名な城をピックアップする考え方です。

名古屋城は、考え方や時代でいろいろな説がある日本三大名城に必ず登場するといっても過言ではない城です。また、日本100名城にも選ばれている城です。城好きであれば、名古屋城は一度は足を伸ばしたいスポットとしても有名です。

尾張徳川家の居城

名古屋城の城主は、尾張徳川家の人が大半でした。尾張徳川家は、徳川御三家と呼ばれる最高の格式でした。残念ながら尾張徳川家から将軍が出ることがありませんでしたが、他の大名に比べて優遇されていました。

現在でも尾張徳川家の血筋は受け継がれていて、他の徳川家の末裔とも交流を続けています。現在の当主は、資産管理運営会社などを経営していて他の末裔に比べてお金持ちだと言われることが多いです。

名古屋城の歴史

ここからは、名古屋城の歴史について紹介していきます。名古屋城の城主と合わせて歴史を知っておくと、名古屋城のことを理解しやすくなります。

名古屋城は、戦国時代、江戸時代、近代、現代で大きく役割を変えています。ここでは大まかにこの4つの時代における名古屋城の歴史を紹介します。名古屋城の歴史に思いをはせてみることは、愛知県や日本の歴史に興味を持つきっかけになるでしょう。

戦国時代

戦国時代には、名古屋城の前身である那古野城が誕生しました。那古野城は、16世紀前半に作られますが30年程度で誰も済まなくなってしまいました。

名古屋城の原型となった那古野城は、元々は今川氏親が尾張地域を支配するための拠点として作られます。しかし、その後織田信秀の手に渡り当時の城主を追い出してしまったという説が有力です。

その後織田信長が那古野城の城主になりますが、清須城に移動したので廃城になります。

江戸時代

江戸時代には、那古野城跡に徳川家康が名古屋城を築くように命令し1612年には大天守ができていたと言われています。名古屋城の石垣を作るために、558万人程度が働いたという説もあります。

その後は、清須城から大掛かりな引っ越しが行われて尾張地域の政の中心地域として活躍します。第3代将軍徳川家光や第14代将軍徳川家茂が立ち寄ったりすることもあり、格式のある城として活用されていました。

近代

近代の名古屋城は明治維新の混乱から破却の危機もありましたが、天守や本丸御殿の保存が決まりました。1931年は、一般市民にも公開するなど名古屋のシンボルとしての役割も担うようになりました。

その後は、戦争による消失を防ぐために障壁画を疎開させたり、金鯱を外したりされました。しかし、残念ながら1945年の名古屋大空襲で本丸御殿、大天守などの大部分が焼けてしまいます。

現代

現在の名古屋城は、寄付などによってある程度再建されています。戦争の被害を逃れた部分もあり、当時の面影を感じることもできます。復元した部分も、かつての姿を再現するように努められています。

復元に関しては、現在も続いています。例えば、1959年に天守閣が再建されましたが、2022年12月に戦前の姿を取り戻そうと木造に作り替える竣工が予定されています。

名古屋城の歴代城主17人

ここからは、かつて名古屋城の城主として君臨した歴史上の人物を紹介していきます。名古屋城の歴代城主を知ることは、名古屋城だけでなく尾張地域の歴史を知ることにも繋がります。

遠い存在のような名古屋城の城主ですが、身近に感じられるエピソードも紹介しています。名古屋城の城主達は、それぞれ激動の人生を名古屋城で過ごしました。名古屋城を訪れる際には、かつての城主に思いをはせてみましょう。

1代目城主:義直

徳川義直(よしなお)は、徳川家康の9男としてこの世に生を受けました。尾張徳川家を作った人物として、尾張藩に強い影響を与えました徳川義直は、あの第3代将軍徳川家光にも意見することができる珍しい人物としても有名でした。

徳川義直は、儒教を大事にして政治を行いました。さらに、徳川家康の子供だというプライドが高かったと伝えられています。剣術などにも優れていて、新陰流第4世としても活躍しました。

2代目城主:光友

徳川光友(みつとも)は、父が従兄である徳川家光の娘千代姫を正室に迎え尾張徳川家の地位を確固たるものとしました。元服時には、光義と言う名前で過ごしていたことでも有名です。

徳川光友と千代姫の結婚したのは、徳川光友13歳で千代姫が2歳から3歳の時と言われています。なかなか子宝に恵まれなかった徳川家光に何かあった際には、徳川光友が将軍になるというプランもあったと言われています。

3代目城主:綱誠

徳川綱誠(つななり)は、正室と側室13名がいる大所帯で過ごした城主でした。正室との間に子供はいませんが、22男18女の父親であったと伝えられています。しかし、残念ながら子供の多くは成人することがありませんでした。

徳川綱誠は、よく食べてよく遊んだ城主として知られています。苺の食中毒が原因で、父親から城主の地位を譲ってもらった後わずか6年で命を落としています。

4代目城主:吉通

4代目城主吉通(よしみち)は、徳川綱誠の十男として急死した父に代わって11歳で藩主になりました。将軍徳川家宣は、実はこの4代目城主吉通に将軍を譲ろうという考えもあったほど名君だったと言われています。

ただし、4代目城主吉通は不信がる人も多い謎の最後を遂げたと伝わっています。一部の説では、紀州藩の間者が4代目城主吉通の死に関わっていたのではという見方も有力です。

5代目城主:五郎太

5代目城主の五郎太(ごろうた)は、徳川吉通と正室の間に生まれた幼い城主でした。父が急死したので城主になりますが、わずか2カ月でこの世から去ってしまいます。この時わずかに3歳と言う幼さでした。

元々五郎太という名前は、尾張徳川家の長男に漬けられる幼い時の名前です。官位などもなく、非常に短い人生を送った城主として知られています。5代目城主の五郎太が亡くなったことにより、直系の血筋は絶えてしまいました。

6代目城主:継友

6代目城主継友(つぐとも)は、第3代藩主綱誠の十一男です。兄や甥っ子が次々不審な死を遂げたので、継友に城主の座が巡ってきました。日陰の人生を送って来たこともあり、城主になれたことを非常に喜んでいたそうです。

6代目城主継友は、非常にお金に足してシビアな考え方の持ち主であったと知られています。藩財政の建て直しを図るなど、藩の懐事情を改善した功績を持っています。残念ながら世継ぎに恵まれず、39歳で他界しましtした。

7代目城主:宗春(むねはる)

7代目城主宗春は、第3代藩主徳川綱誠の二十男としてこの世に生まれました。第4代藩主の吉通は、非常に7代目城主宗春を可愛がっていたと伝えられています。

7代目城主宗春は、当時節約をモットーにしていた将軍徳川吉宗の政策に異議を唱え、町民たちが楽しく暮らせる街作りに力を注いでいました。規制緩和が積極的に行われていたことで幕府から目を付けられて、晩年は隠居謹慎をしていました。

8代目城主:宗勝

8代目城主宗勝(むねかつ)は、低身分の役人に育てられた分家の長男でした。7代目城主が隠居したため、その後を引き継ぐ形になりました。8代目城主宗勝は、7代目とは異なり倹約志向の政治を行いました。

8代目城主宗勝は、庶民の生活も大変だろうと増税などを行わなかったことでも有名です。尾張藩主は短命だったり子宝に恵まれてない人が多いですが、8代目城主宗勝は57歳まで生きて15男11女にも恵まれました。

9代目城主:宗陸

第8代藩主徳川宗勝の次男が、9代目城主宗陸(むねちか)です。母は、第8代藩主徳川宗勝の側室であった一色氏でした。新田開発や殖産興業政策に力を注ぐなど、名君として知られています。

9代目城主宗陸は、中興の祖と呼ばれているほど尾張徳川家にとって大事なキーパーソンでもあります。ただなかなか世継ぎが成長しないまま亡くなってしまうことが多く、徳川義直から続いた男系の血筋は9代目城主宗陸で途絶えてしまいます。

10代目城主:斉朝

10代目城主の斉朝(なりとも)は、第11代将軍徳川家斉の弟の長男として誕生しました。9代目城主の宗陸の養子となり、10代目城主として名古屋城で政をしていました。

10代目城主の斉朝は、藩財政の建て直しなどを目指しましたがなかなかうまくいきませんでした。その他の政策もあまり効果が観られず、35歳で隠居生活を送ります。隠居生活も長く、名古屋で大殿として影響力を持っていた時期もありました。

11代目城主:斉温

11代目城主は、11代将軍徳川家斉の十九男だった斉温(なりはる)です。10代城主の養子になりますが、徳川斉朝が早々に隠居したことによって9歳で名古屋城の主になります。

11代目城主は、倹約令出すなど財政面での立て直しを志しましたが上手くいきませんでした。さらに名古屋城主でありながら病気がちだったので、江戸藩邸で過ごし尾張の領地に足を伸ばすことがありませんでした。

12代目城主:斉荘

12代目城主の斉荘(なりたか)は、11代城主徳川斉温の母親が違う兄でした。元々は、田安家当主の養子として過ごしていました。弟が若くして亡くなったので、幕府の上使の命令で城主になることになりました。

幕府が勝手に決めた形の城主だったので、周囲からの反発も多かったです。反発する人達のグループは、反幕・尊皇攘夷派に繋がっていきます。12代目本人は、政治にあまり興味が無く茶道などが趣味でした。

13代目城主:慶臧

13代目城主である慶臧(よしつぐ)は、男子に恵まれなかった斉荘の娘の結婚相手でした。慶臧自身は、田安徳川家第3代当主徳川斉匡の10男としてこの世に誕生しました。

13代目城主である慶臧は、12代目藩主と同じく尾張藩内では勝手に城主を決められたと不満に感じる人も多い中で政治を行いました。頭の良い人物として将来が期待されていましたが、城主になって4年で14歳の若さでこの世を去りました。

14代目城主:慶勝

14代目城主の慶勝(よしかつ)は、尾張藩で城主になってほしいという声が多かった人物です。尾張藩の御連枝として支持されていた美濃高須藩主の松平義建の2番目の息子です。

14代城主は、尊皇攘夷の考えを持っていて倹約をモットーにした政治を行いました。当時大老だった井伊直弼のアメリカとの交渉に抗議し、隠居生活を命じられてしまいます。写真好きで、慶勝の1,000点もの写真が発見されています。

15代目城主:茂徳

15代目城主の茂徳(もちなが)は、4代目城主の弟です。尾張藩主の兄が隠居処分になったので、急遽名古屋城主になりました。大変優秀な人物だったので、名古屋城主を務めた後は一橋家当主を務めるなど徳川一族の中でも一目置かれた存在でした。

16代目城主:義宣

16代目城主の義宣(よしのり)は、第14代藩主徳川慶勝の三男でした。義宣は、15代目城主が隠居したため6歳で城主になります。幼い城主だったので、政治の実権は父の徳川慶勝が握っていました。

17代目城主:慶勝

名古屋城の城主のラストを飾るのが、14代の城主も務めた慶勝(よしかつ)です。病弱だった16代目城主義宣が18歳でこの世を去ったので、父である慶勝が当主に返り咲きました。

この時期には、旧尾張藩士が北海道を開拓する手助けをするなど近代日本の礎を作るのにも尽力しました。

名古屋城の歴代城主に興味がある人に

ここからは、名古屋城の歴代城主に興味がある人に本を紹介していきます。歴代の城主の大まかなプロフィールが分かったら、読んでみましょう。名古屋城を見学することが、より楽しくなれます。

この本は、名古屋城と犬山城のガイドブックとしてのある一冊です。写真・図版が多く採用されている本なので、観光に行く前にチェックしておくと分かりやすいです。犬山城にも行く予定のある人は、押さえておきましょう。

きれいな写真が多く、内容も分かりやすく情報がコンパクトに収められている本です。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2AE0VT3TUR5... |

徳川御三家・尾張徳川家とは

尾張徳川家は、徳川御三家のなかでも特に格式のある血筋です。です。現在も受け継がれている名家ですが、将軍を輩出したことがありません。城主によっては、幕府と対立するような政策を掲げている人もいます。

将軍を輩出できなかったのはなぜ?

名古屋城の城主は、短命であったり謎の死を遂げていることが多く将軍に選ばれなかったと考えられます。同じくライバルだった紀州徳川家が何らかの陰謀を働いたという話もあります。

名古屋城に行ってみよう

現在も日本の中心地として特別な存在感を放つ名古屋に行ったら、名古屋城にぜひとも足を運んでみましょう。実物の名古屋城を見学すれば、もっと城主について興味がわいてくれるでしょう。
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初回公開日:2018年12月25日

記載されている内容は2018年12月25日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

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