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2020年10月10日

熊本城の城主「加藤氏と細川氏」について|難攻不落4つの特徴

更新日:2020年10月10日

熊本地震でも有名になった熊本城ですが、どのような歴史があるのでしょうか。熊本城と言えば加藤清正と細川忠利ですが、それぞれどのような人なのでしょうか。難攻不落と言われた熊本城の特徴は4つありますが、それはどのようなものなのでしょうか。熊本城についてまとめました。

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熊本城とは

熊本城は九州の熊本県にあるお城で、熊本市中心部のアーケード街からも近い観光スポットです。2016年の熊本地震で天守閣の瓦がすべて落ちてしまい、石垣が壊れてしまうなどの被害を受け、現在は復旧工事中です。


かつては難攻不落と呼ばれたお城で加藤氏や細川氏と言った城主がいたことでも有名です。熊本県民にとっては、熊本の誇りであり心の支えでもある熊本城です。現在では市も復興のシンボルとして位置付けています。

熊本城の歴史

熊本城にはどのような歴史があるのでしょうか。熊本城が現在の形に近い姿になったのは、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけてです。千葉城や隈本城が中世に築かれていましたが、熊本城の城主でもある加藤清正がそれを取り込みました。その後、城主は細川氏となりましたが、改築が盛んに行われました。

明治時代の地震で石垣の一部が壊れましたが修復され、熊本地震で大きな被害を受けるまでは、難攻不落を感じさせる姿でした。

明治~現代の熊本城

明治時代に入って、熊本城は西南戦争の戦場となりました。西南戦争の直前には、熊本城の小天守などの本丸建築群が焼失しました。熊本城の天守は1960年に再建されました。1889年に熊本で地震があり、石垣の一部が崩壊し改修された跡がありますが、江戸時代の改築の痕跡をとどめていますので特別史跡に指定されています。

2016年の熊本地震では、重要文化建造物や石垣などが壊れ、熊本城築城以来の被害を受けました。

熊本城・城主の変遷

隈本城は、千葉城や隈本城などの時代を経て熊本城となりました。千葉城城主や隈本城城主は、どのように変わっていき熊本城城主になったのでしょうか。こちらでは、熊本城の前身でもある千葉城や隈本城の城主がどのように変遷されていったのかについてそれぞれ説明します。

千葉城時代の城主

千葉城は城主出田秀信によって築かれた応仁・文明年間の城です。文明17年に菊池重朝の命により出陣しますが矢部馬門原の合戦で討ち死にします。城主は嫡男の重綱が跡ぎますが、明応5年に隈本城が築城され千葉城は廃城となりました。

千葉城は熊本城の北東の小高い丘に築かれていました。玉川と坪井川が千葉城の自然の堀を形成しており、要害の地でもありました。現在でも千葉城があった跡地を見ることはできます。

隈本城時代の城主

隈本城は、明応年間に城主でもある鹿子木親員によって築かれました。菊池重朝により千葉城城主であった出田重綱に代わり、当時楠原城主だった鹿子木氏を隈本に移しました。鹿子木氏には隈本城城主として国府・藤崎宮の維持にあたらせました。

天文23年に肥後が大友氏の所領になりました。当時菊池義武に従っていた親員の孫の鎮有は協力した罪で隈本城を追われました。隈本城は現在、石垣のみが残されています。

熊本城時代の城主

隈本城時代の城主は加藤清正と細川氏です。熊本城を築城したのは城主の加藤清正です。1591年に築城を始め、1607年に完成しました。「隈本城」だった名前を「熊本城」に変更しました。理由としては「隈」より「熊」の方が勇ましいからでした。

熊本城城主といえばこの人!

熊本城の歴史や城主の変遷について説明しましたが、熊本城城主と言えばこの人という人はいるのでしょうか。こちらでは、熊本城を代表する城主について説明します。学校の歴史の教科書などでも登場することがある有名な人物が熊本城の城主でしたが、どのような人物だったのでしょうか。

1:加藤清正

熊本城と言えば加藤清正と言われるくらい有名な人物です。加藤清正とは、どのような人物だったのでしょうか。

加藤清正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将です。肥後熊本藩の藩主で豊臣秀吉の家臣でした。各地で転戦し肥後北半国の大名となりました。秀吉が死んだ後は、関ヶ原で徳川家康の東軍に荷担し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられました。加藤清正は1611年に亡くなりました。

2:細川忠利

1632年に加藤清正の息子でもある加藤忠広が改易されました。加藤忠広の後を受けて熊本城の城主になったのが細川忠利です。細川忠利は、熊本城城主になる前は小倉城城主でした。後任の小倉城城主は小笠原忠真で、忠利は熊本藩の初代藩主になりました。

1637年の島原の乱にも参戦しましたが、1641年に55歳で死去しました。長男の光利が跡を継ぎました。

熊本城を知りたい人にはこれ!

熊本城について知りたい時には、歴史を学ぶのも良いですが、どうせなら作ってみませんか。こちらの商品は、熊本城のミニチュアが作れるプラモデルです。プラモデルですが、その造りはしっかりとしていますので、熊本城の内部構造を知ることができます。また、別商品と組み合わせれば、本格的な熊本城を完成させることもできます。

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内部構造まで再現されているので、発売当初から気になっていました。価格がお手頃になったので、購入。塗装が大変そうだけど、素晴らしい出来です。いつの日か、1/144専用フィギュアや内部装備品が発売されたらいいなと思いました。

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「難攻不落の熊本城」4つの特徴

熊本城は日本で有数難攻不落とも言われていたお城です。絶対に突破できない設計とも言われており、戦う名城として名前が広まっていました。難攻不落の熊本城にはどのような特徴があったのでしょうか。こちらでは、熊本城の特徴について4つご紹介します。

ジグザグ通路で侵入不可能

熊本城の通路はジグザグで複雑に折れ曲がっています。石垣を屈曲させて、敵の側面から攻撃できるような設計で造られています。特に竹の内から天守に向かう道のりは、ジグザグに折れ曲がっており侵入が不可能になっています。

清正流石垣

難攻不落の熊本城の特徴の2つ目は石垣です。清正流石垣と呼ばれた石垣は、優美にして堅牢でしたので、江戸時代からその名を馳せていました。20mを超える高さがある本丸北側のものは鉄壁の造りであることを証明しています。また、本丸を中心に取り囲む石垣の高さは全国屈指です。

武者返し

武者返しとは、上に上がっていくほど垂直になる城壁の事です。西南戦争の折には近代兵器が使用されましたが、この城壁を甘く見た薩摩軍は誰一人として熊本城内に入れなかったというエピソードがあります。また、石垣状の櫓の角には石落としが備えられ、石垣と小天守建物の間には忍び返しという鉄の串が取り付けられていました。

石垣だけではなく、階段も高さを不ぞろいにして進行を遅らせるための工夫がされていました。

120以上ある井戸

熊本城には120以上の井戸があります。敷地内には、至る所に井戸が設置されています。この井戸は加藤清正が築城してから、西南戦争まで使用されていたという歴史があります。もし籠城になっても豊富に水が使用できるようになっており、熊本城が難攻不落の要塞であったかを物語っています。

また、一説によれば120以上の井戸は軟弱な地盤改良によるものとされています。現在では井戸は12個ほどに減少しています。

壁や畳に食べ物を仕込む

熊本城は銀杏城と呼ばれるほど銀杏の木が植えられています。これは、籠城の際に食料になるようにですが、それだけではありません。熊本城では場内に敷かれている畳をサトイモの茎に変えていました。さらに土壁のつなぎにサトイモの茎や壁にカンピョウを塗りこんでいたという言い伝えがあります。

加藤清正は、朝鮮出兵の際に厳しい籠城生活をした経験から念入りに非常食の準備をしていました。

熊本城の復興城主になろう

熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城の復興には、莫大な費用と年月がかかります。そのため、熊本城の早期復旧を祈願して復興城主の制度があります。1万円以上の寄付で復興城主になることができ、熊本城近くの「桜の馬場城彩苑」という観光施設内で寄付者名が城主として映しだされます。完全復旧には600億円以上の費用が必要な熊本城です。

20年をかけての全体復旧となりますので、復興城主を検討してみませんか。
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初回公開日:2018年12月28日

記載されている内容は2018年12月28日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

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