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2019年01月24日

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ

織田信長にはいろいろなエピソードがありますが、服装に関しても奇抜な逸話が残っています。特に父親の葬儀の際の織田信長の服装と振る舞いは、信長の「うつけ」と呼ばれるエピソードの中でも非常に有名です。ここでは織田信長について服装の観点から紹介します。

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ

織田信長の服装

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ
織田信長といえば、戦国武将の中でも非常に有名な人の一人で、歴史小説やドラマ、ゲームなどで一度は名前を聞いたことがあるでしょう。織田信長は、当時としては珍しい革新的な政策や戦術などを考案し、カリスマ性が高い戦国武将としてよく知られています。

こういった業績面のみならず、織田信長は服装などのファッション面に関してもかなり個性的でした。ここでは織田信長の服装の特徴について、いくつかの項に分けて紹介します。

年齢別

織田信長の服装に関しては年齢によっても異なり、幼少期の織田信長は「うつけ」と呼ばれるほどの傾奇者でした。うつけとは、現代でいうところの「ヤンキー」に相当するものであり、服装も相当に奇抜な恰好をしていました。

そのため、幼少期の織田信長や家臣にも諸侯にも軽んじて扱われていました。

戦争の時

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戦争の際には、武士は甲冑を着て合戦に臨むの普通です。戦国大名の甲冑は武将によってもデザインが大きく異なります。伊達政宗の兜や本田忠勝の数珠など特徴的なデザインや意匠があり、個性的です。

織田信長の甲冑は、南蛮甲冑を装備して戦に臨んでおり、その中でも特徴的なのは織田信長は安土桃山時代にも関わらず、マントを着用している点でした。そのため流行の最先端を行くファッションリーダーとしての側面もありました。

冠婚葬祭の行事の時

結婚式などの冠婚葬祭の時には、織田信長であったとしても正装で臨むのが通常です。この点に関しては、現在と大きく変わらない文化であるともいえます。

安土桃山時代の冠婚葬祭では基本的には和装で臨むのが普通です。この時代では結婚式を行う文化は無く、結婚式に相当するのは、神前婚で三々九度の盃を交わす習わしが該当するといえます。

現代の結婚式に近いスタイルになるのは、大正時代以降になります。

身分の高い人と会った時

織田信長であっても、自分よりも身分が高い人に会う時には礼を尽くしていました。安土桃山時代でも身分が高い人に会う場合には、それ相応の正装をする必要があります。この時代における身分の高い人というと天皇などの朝廷関係者や室町幕府の将軍などが挙げられます。

この時代の正装はというと、公家がしている服装を想像するとわかりやすいです。この服装は直垂と呼ばれる服装であり、烏帽子とセットでコーディネートされます。

父親の葬儀時の服装でわかる織田信長

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ
織田信長の幼少期は、「うつけ」と呼ばれており、言動や行動が他の人に理解されない場面も多くありました。そのため織田信長の幼少期には個性的なエピソードがたくさんあります。

織田信長のエピソードで特徴的なのは、織田信長の父親の葬儀の時の服装と振る舞いです。ここでは、父親の葬儀における織田信長のふるまいについていくつか紹介します。

葬儀の時に着なければならない服装

戦国時代であっても、葬儀の場合には家族は喪服を着るのが通常です。当時の喪服は、現在とは異なり白を基調にしたものであり、主に亡くなった人の遺族がこういった服装をするのが一般的です。

また参列者に関しては、当時は必ず喪服である必要はありませんでした。織田信長の場合には、父親の葬式であるため当然喪服を着るのが、葬儀にふさわしい服装であることは自明です。

当日着てきた服装

では一体織田信長はどのような服装で、父親の葬儀に臨んだのでしょうか。織田信長は当時は嫡男であったことから、フォーマルな振る舞いが求められる立場になります。当時はうつけと呼ばれ、あまり良い評判が無かった織田信長だったので、注目されていました。

しかしながら、信長が実際に父親の葬儀の際の服装は、普段のうつけと呼ばれる状態のままのバサラな服装でした。

葬儀の際の行動

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ
葬儀の際の行動に関しても常軌を逸しており、織田家の今後が不安になるものでした。なんと信長は、父親の葬儀で乱れた服装であることのみならず、父親の位牌に焼香と抹香を投げつけしまうという暴挙にでました。

この行動は、織田信長の目付役だった平手秀政が切腹する事態へとつながってしまいました。

周りの人の反応

父親の葬儀での信長の常軌を逸した行動には周りの人も、「信長は本当にうつけ」であるといった印象を与えました。特に織田家につかえる家臣や親族にとっては、今後が思いやられてしまいます。

この事件は織田信長がうつけであると庶民に確信付けるには十分なパフォーマンスであったといえました。

織田信長の人となりを理解するためにおすすめのアイテム

織田信長の人となりを理解するためには、織田信長の生涯を知ることが必要不可欠です。織田信長についての史実を事細かく記載している書物には信長公記というものがあります。

こちらの現代語訳に関しては出版されており、リアルな信長の人生をたどるにはおすすめの一冊だといえるでしょう。

織田信長が葬儀に奇抜な服装をした理由

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ
織田信長は史実でもわかるとおり、本物のうつけであるとはいえず、うつけを演じていた説もあります。そのため父親の葬儀の際にも、そういった信長の策略というものがあったともいえるでしょう。

ここでは織田信長が父親の葬儀で奇抜な服装をした理由についていくつか紹介します。

1:自分をアピール

父親の葬儀で、非常識な罰当たりな行動をとれば、目立つのは当たり前だといえます。特に織田信長の場合には、自身の他にも兄弟がいたので、嫡男争いという面で見ても家臣や親族、他国に自分のことをアピールする必要があったといえます。

2:信仰心

葬儀の場でのひどい振る舞いに関しては、信長自身の信仰心がどういったものであるかを表現したといわれています。のちに信長は比叡山の焼き討ちなど仏教界隈には武力で対抗していることから、信仰心の薄さをアピールしたという側面もあります。

3:自分の敵を見つける

葬儀に限らず、信長のうつけの振る舞いは、他国や自国の敵対勢力を欺くためにワザと行っていたという説があります。信長がうつけをアピールすることで、その際の混乱に乗じて反乱を企てようとする分子をあぶりだすことにも直結します。

4:悲しみ

信長の父親の葬儀の際の振る舞いに関しては諸説ありますが、この時に単に自分の感情を抑えきれずにおこなってしまったという説もあります。単に悲しかったという理由の他にもいろいろな説がありますが、実際のところは定かではありません。

織田信長についてもっと知っていこう

父親の葬儀にきた織田信長の服装|奇抜な服装の理由4つ
戦国時代には、歴史が苦手な人でも勉強しやすいテーマが豊富にあります。とりわけ織田信長のストーリーは山あり谷あり波乱万丈で、勉強していても楽しく、歴史の入門としておすすめです。

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