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2019年01月08日

安倍晴明の子孫の没落と復活について7つ|現在の子孫について

今回は「安倍晴明の子孫の没落と復活について7つ|現在の子孫について」と題して、「安倍晴明の子孫の没落と復活・現在の子孫」についての詳細情報をはじめ、「安倍晴明に関するさまざまな情報と信ぴょう性のある有力情報」についてご紹介します。

安倍晴明の子孫の没落と復活について7つ|現在の子孫について

安倍晴明の子孫

皆さんは安倍晴明という人についてご存知でしょうか。安倍晴明は今から1100年も昔にいた実在の人物であり、921年から1005年において、平安時代の陰陽師として活躍した宗教家を主な職種としていた人物として知られています。

先年に『陰陽師』(野村萬斎主演、2001年)というタイトルでパート1・2に渡って公開された映画でも有名でしたが、この陰陽師というのは平安時代・鎌倉時代においても高名な職種でした。

安倍晴明の子供

さて、先述では安倍晴明の出自について簡単にご紹介しましたが、この安倍晴明の子孫には誰がいるのかという問いについては諸説残っており、いまだにその謎ははっきりとした形で解明されていません。

有力な説とされているのは、まず「右大臣阿倍御主人の子孫とする説」、「阿倍仲麻呂の子孫とする説」などを前提として、平安時代の陰陽師・安倍吉昌や、同じく平安中期頃に陰陽師として活躍した安倍吉平などとされています。

安倍晴明の子供の職業

次に「安倍晴明の子供が就いた職業」についてのご紹介ですが、これについて現存する資料のうちから安倍吉昌は貴族・陰陽師・天文博士などとされており、安倍吉平は陰陽博士・陰陽助・主計助(律令制における民部省に所属する機関)などとされています。

二人ともやはり陰陽道には詳しい人物であったらしく、特に安倍吉平は安倍晴明に倣って本格的に陰陽師としての格式を朝廷から得ていたとされています。

安倍晴明5代目

これは『ぬらりひょんの孫』という漫画に登場する「御門院(ごかどいん)」というキャラクターに準えて作られ、安倍晴明の5代目で陰陽師として活躍する、花開院家と対になる存在として描かれています。

もちろん実在する人物ではないため史料には残されていませんが、安倍晴明の職種内容がきっちり含まれ、「私は1000年後にまたこの世に蘇る」という再来の予言がなされています。実在の人物では安倍泰親があげられます。

安倍晴明子孫没落の危機と復活

次は「安倍晴明子孫没落の危機と復活」についてのご紹介ですが、これは安倍晴明の一家が京都下京区(梅林寺)辺りに居を構えていた際に起こった史実に基づく内容に見られます。

安倍晴明一族の基盤が長年・安倍吉平の政略失敗から当主が次々に死亡していき、それから以降、子孫の消息が不明になる程に安倍晴明家は困窮しました。その後、安倍晴明のライバルとされた蘆屋道満などによってその地位をさらに揺るがされました。

1:5代目以降の安倍家の当主

先述でもご紹介しましたが、安倍晴明の5代目の子孫に当たる人物として史実では「安倍泰親(あべのやすちか)」があげられており、この安倍泰親安倍晴明の再来として同じく陰陽師として平安時代の末期に活躍したとされています。

安倍泰親はその活躍において内裏火災(1148年)、内親王の急逝(1172年)、1179年における朝廷から幕府における政変の流れなどを次々と予言し、以仁王の挙兵までも予言しました。

2:安倍家のお家騒動

安倍晴明の子孫の没落と復活について7つ|現在の子孫について
安倍晴明家が活躍したのは平安時代から鎌倉時代に掛けての区分に見られますが、安倍家はその血筋と格式の高さを朝廷・幕府から約束されており、非常に安泰した家柄を欲しいままにしていました。しかしこの安倍家では当時から「宗教派閥によるお家騒動的な内向争い」が勃発し始めており、それが原因で安倍家の基盤が揺るがされます。

そんな折、足利義満の時代に活躍した安倍有世が活躍し、破格の優遇を受けることができました。

3:安倍家14代目

安倍家14代目に当たる子孫としてあげられるのは安倍有世(あべのありよ)で、大炊権助・安倍泰吉の子として同じく陰陽師として大きく活躍した人物として知られています。

1378年頃より幕府の公務を行なうようになり、南北朝時代から室町時代に掛けて足利義満侍従陰陽師となったことによって、ほぼ「最高位の陰陽師」としての待遇が約束されました。

しかし陰陽師の間でも確執が多く、安泰するまでには長い年月を要しました。

4:安倍から苗字を変更

先述の安倍有世の世代から「安倍」の苗字が変更されたことが史実としても有名ですが、この場合、多くあげられる苗字は「土御門」というまったく違う姓になります。しかしこの苗字は安倍有世の時代においては存在せず(史料による)、その苗字は安倍有世のひ孫に当たる安倍有宣(土御門有宣)から見られることが知られています。

5:公家としての地位

安倍有世は室町時代においてその名を馳せた公家社会の「精神的支柱」となって活躍したことが知られており、この出世・活躍によって有世は安倍晴明の時代(平安時代)から約500年経過した後での「社会的に高位に就く快挙」を成し遂げたことで有名とされます。

この出世の土台にも当時の最高将軍職に就いていた足利義満のバックアップがあったことは言うまでもなく、有世は義光の支援によって最高位の陰陽師とされました。

6:江戸時代

安倍晴明の伝承に基づく説話と影響についてのご紹介となりますが、江戸時代において『安倍仲丸転生記』(作者不詳)や『神道講釈安倍晴明』という説話集が流布され始め、改めて陰陽師という職種が市民の間で再確認されていきました。

さらに先述でもご紹介しました土御門家は江戸時代においてもその名が知られ、征夷大将軍宣下の直属祈祷師となり、尽力によって梅小路に研究所も兼ねた大規模な邸宅を構えることが許されました。

7:明治時代

江戸時代でも征夷大将軍(徳川家康)側近の祈祷師としてその名を馳せた土御門家(安倍晴明の子孫)は、その尽力・功績が大きく称えられる形で次世代にも受け継がれていき、明治時代においても伴家の家名が与えられながら、破格の優遇が付与されました。

土御門晴栄(つちみかどはれなが)は安倍晴明を祖とする安倍氏の嫡流とされますが、政治家・陰陽師として活躍する傍ら、華族令によって子爵の地位が確約されました。

安倍晴明の子孫をさらに知りたいあなたに

先述では「安倍晴明の子孫とその概略から経歴」についてご紹介してきましたが、ここでは「安倍晴明の子孫をさらに知りたいあなたに」と題して、さらに安倍晴明の子孫やその歴史を深く知りたいと言うあなたにおすすめの一品をご紹介します。

今回ご紹介するのは『陰陽師「安倍晴明」』で、本書では他書で見られるお堅い文体を一切崩してわかりやすく安倍晴明・陰陽師・その子孫・歴史について紹介しています。

声明さん~詳しく陰陽道の長い歴史からの面と今昔物語他書物から見てこれを読みますと~学校の歴史の観念と異なる視野からあの時代の
あったであろう事柄に、「これさもありなん」と人の生き様とかもっと多く大切な事を気付かせてくれる感じがする。大きさコンパクトで
いつでも読める様持参している本のひとつになっている。

出典: https://www.amazon.co.jp/%E9%99%B0%E9%99%BD%E5%B8%AB%E3%8... |

現在の安倍晴明の子孫はいる

安倍晴明の子孫について先述でも詳しくご紹介してきました。さすがに平安時代や鎌倉時代、また南北朝時代、室町時代辺りにおいての子孫経歴については現存する史料が少ないためはっきりとした事実の確認はむずかしいですが、それでも着実に受け継がれてきた安倍家の子孫は現代でも確認されています。

特に江戸時代以降の史料ははっきりとした形で確認できるため、その子孫について調べることは容易になります。

安倍晴明から27代目

安倍晴明から27代目に当たる子孫のご紹介ですが、これは安倍成道氏とされており、現代では「水の陰陽師」として(インターネットでも)公式サイトで紹介がなされている程とても有名な活躍が見られています。

安倍成道氏は「安倍晴明から27代目の陰陽師」とされている一方で、作家・執筆家としても非常に有名であり、『陰陽師の使命』や『念』など、いろいろな角度から眺めた人生の活性法について教えてくれています。

安倍晴明と安倍晋三氏の関係

平安時代の大陰陽師・安倍晴明と、現代の日本の首相である安倍晋三氏の関係についてですが、これについては安倍首相本人が正式に語った機会はないのに関わらず、それについての紐解きが所説あります。

安倍晴明の供養に捧用されている寺院には「第90代内閣総理大臣」と書かれた安倍氏の献灯碑が掲げられてあり、その関係は密なものであることがうかがわれますが、事実としては直接の血縁は「ありえない」という説が一般的です。

安倍晴明の直系子孫のお墓が壊れかかけている

今回は「安倍晴明の子孫の没落と復活について7つ|現在の子孫について」と題して、「安倍晴明の子孫の没落と復活・現在の子孫」についてご紹介しました。

安倍晴明は平安時代に活躍した大陰陽師の1人ですが、そのお墓は京都下京区にある梅林寺にあり、老朽に伴って現在ではその復興が求められています。非常に長く法要に使われてきたため、今後も風雨に晒されても崩れないよう、堅固な補修工事が行なわれ続けるでしょう。

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