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2019年01月07日

真田幸村の愛槍「大千鳥十文字槍」とは?戦国武将の愛槍5選

2016年に真田幸村(信繁)の半生を描いた大河ドラマ「真田丸」がヒットし、またゲームの影響で戦国武将ブームとなった昨今、真田幸村といえば朱色の槍を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。ここではその幸村の愛槍大千鳥十文字槍と呼ばれる槍についてご紹介します。

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槍とは

槍とは、刺突を目的とした人類最古の狩猟具・武器の一種です。長い柄の先に細長い穂のような刃をつけた武器で、石製の槍先が発見されたことで、旧石器時代にはすでに利用してされていたことがわかっています。

相手と距離が取れる槍の長さは戦闘時に有効で、戦国時代後半ではそれまで主流だった薙刀より盛んに用いられるようになりました。ただし、長い柄のため閉所での戦闘には向かず、柄が長くなるほど接近戦で不利になります。

槍の種類

槍の種類は大まかに素槍と枝物槍とに分けられます。

素槍とは、長い柄の先に真っ直ぐな穂を持つ槍で、一般的に知られている槍は素槍です。用途によって柄の長さや穂の大きさが変わり、歴史に残る非常に長い大身槍なども広い意味では素槍に区分されます。

枝物槍とは、穂に鎌状の刃、または鉤状の金具がある槍の事です。穂に鉤状の金具を嵌めた槍を鍵槍、穂に鎌状の刃を成形した槍を鎌槍といいます。

真田幸村が愛した大千鳥十文字槍

戦国武将真田幸村といえば十文字槍といわれるほど有名な話ですが、愛用していた槍は大千鳥十文字槍と呼ばれる十文字槍です。

大千鳥十文字槍は、枝物槍の鎌槍に分類されます。なお千鳥十文字槍は、短く比較的太い上向きに湾曲した姿が千鳥が飛び立つように羽を広げて見えることから、千鳥の名がつけられた槍です。

真田幸村とは

真田幸村は槍術に長け、槍働きと称された武将です。大阪夏の陣では豊臣方の武将として徳川家康の本陣まで攻め込んだことから、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されました。

真田幸村の名で広く知られていますが、実際は真田信繁が正しい名前です。直筆の書状や史料で幸村の名が使われているものはなく、幸村の名前が見られるようになったのは江戸時代に書かれた「難波戦記」という軍記物が始めだとされています。

槍働きとは

槍働きとは、戦国時代の合戦において武功を立てたことをいいます。戦国時代に最も多く用いられた武器が槍だったため、槍という言葉が用いられました。なお、誰よりも早く敵を討ち取った者を「一番槍」といい、敵将の首級を討ち取るのと同じく栄誉あることでした。

このように、この時代は主に使われているのが槍であったことから、弓や刀で倒したとしても戦で武功を上げた者はすべて「槍働き」と呼ばれました。

大千鳥十文字槍の読み方

大千鳥十文字槍の読み方は「おおちどりじゅうもんじやり」と読みます。真田幸村といえば十文字槍と言われていますが、正確にいうならば大千鳥十文字槍という十文字槍を用いていたとの事です。

大千鳥十文字槍と一般的な槍の違い

大千鳥十文字槍は穂先の左右に刃がついている十文字の形をしている槍です。また、真田幸村が使用していた大千鳥十文字槍は柄が朱色に塗られており、武功を挙げた者、武勇に優れた者に与えられる朱色に装飾された「朱槍」だったといわれています。

赤や朱色で統一された甲冑などの武具「赤備え」でも知られていますが、朱色の武具というのは精鋭、または最強と歌われることから、朱槍は武勇の誉れとして特別な槍だったのでしょう。

大千鳥十文字槍の使い方

大千鳥十文字槍のような十文字槍は、刃が三方向についてるため、突き刺す際には敵が避けにくいという形状をしています。刺す、切るという使い方のほかに、左右に突き出した刃のどちらかを引っ掛ける、または敵の刃を受け止めるという使い方もできます。

大千鳥十文字槍は馬上の敵に引っ掛けて落馬させることもでき、また薙ぎ払うことで刃を払ったり、薙ぎ払った際に左右のどちらかの刃が刺さることで確実に殺傷することが可能です。

大千鳥十文字槍はどこへ行ったのか

真田幸村は大阪の陣では、大千鳥十文字槍ではなく、実際は薙刀を使用していたとされます。徳川家康の本陣に攻め込んだ際にも薙刀だったといわれており、またその後退却した幸村を討ち取ったとされる越前松平の家臣・西尾宗次が持ち帰ったものも薙刀だったそうです。

真田幸村が使用していたとされる大千鳥十文字槍は、柄の部分はすでに失われていますが、穂先は長野県長野市にある真田宝物館に所蔵されています。

真田宝物館

真田宝物館は長野県長野市にある市立の博物館で、真田家の文化財を収蔵しています。真田家12代当主の真田幸治が真田家に伝わる大名道具などを寄贈し、その年長野市が真田宝物館を開館しました。

収蔵・展示品は武具や刀剣、調度品や古文書など重要文化財が展示され、松代藩主真田家の歴史などを紹介しています。なかでも、武田信玄や豊臣秀吉、石田三成などの書状などもあり、歴史好きな人はぜひ一度訪れておくとよいでしょう。

大千鳥十文字槍の構成

大千鳥十文字槍のあらましに触れてきましたが、ここからは大千鳥十文字槍の構成などについてご紹介します。

槍は通常の日本刀よりもなかなか想像しにくい物ですが、大千鳥十文字槍の特徴など、ひとつずつ紹介していきましょう。

1:大千鳥十文字槍の柄

残念ながら現在柄の部分は失われていますが、大千鳥十文字槍の柄は朱色に塗り装飾されており、とても目立つ槍だったとの事です。

朱塗りの槍は説明したとおり、戦場で多くの首級を挙げた者に、主君が贈る名誉ある槍でした。真田幸村の大千鳥十文字槍は、このように主君から認められた証と言えるのではないでしょうか。

2:大千鳥十文字槍の穂先

大千鳥十文字槍の穂先は十文字に枝分かれしています。切っ先が三方向にある事から、突くよりも切りつけたり引き切るという使い方をしたのではないかと言われています。「突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌」とうたわれるとおり、大千鳥十文字槍のような十文字槍は扱い方次第で、あらゆる攻撃ができる万能武器ともいえるでしょう。

ただし騎乗している馬を自身の槍で傷つけてしまう可能性があり、熟練者でなければ扱うのが難しいです。

3:大千鳥十文字槍の長さ

大千鳥十文字槍の長さは全長184cm、刀身は約30cmとされます。なかには刃渡りが50cmや80cmとかなり長い槍を使用している武将もいたことを考えると、真田幸村が使用していた大千鳥十文字槍の刀身は約30cmほどの長さだったことから、割と短めといえるでしょう。

4:大千鳥十文字槍の重量

残念ながら大千鳥十文字槍の重量に関しての記録は見当たりません。しかし、大千鳥十文字槍の全長などを踏まえ、柄を含めるとかなりの重量になるだろうと考えられます。

参考までに、同じ戦国の時代に活躍していた日本刀や薙刀などと重量を比較するならば、日本刀>槍>薙刀となるそうです。

5:大千鳥十文字槍の名前の由来

大千鳥十文字槍の名前の由来は、先にご紹介したとおり短くやや太い上向きに湾曲した十文字の形が、千鳥が飛び立つように羽を広げて見えることから千鳥十文字槍と呼ばれるようになりました。なお、大千鳥十文字槍は大身槍とまではいわないものの、通常の千鳥十文字槍よりもやや大型の穂を持つ槍ということになるでしょう。

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有名戦国武将が所有していた愛槍5選

真田幸村の愛用していた大千鳥十文字槍についてご紹介しましたが、ここからは有名な戦国武将が所有していたとされる槍についてご紹介します。所有している武将も、歴史好きならば知らない人はいないという武将ばかりです。そんな武将たちが所有していた槍も数々の逸話が残されており、興味深いものがあります。

1:蜻蛉切

三河文珠派第二代・藤原正真作「蜻蛉切」は天下三名槍のひとつに数えられる、本多忠勝が愛用していたことで知られる槍です。笹の葉のように先端が鋭い素槍で、穂は1尺4寸(43.7cm)、最大幅3.7cm、重さ約500g、樋に梵字と三鈷剣が彫られています。

蜻蛉切の号は、戦場で槍を立てていたところへ飛んできた蜻蛉が当たると二つに切れたことに由来しています。

本田忠勝

本多忠勝は徳川家康に仕え、13歳で桶狭間の戦いの前哨戦となった大高城兵糧入れで初陣を飾ります。本多忠勝が蜻蛉切を手に入れたのは16歳のときで、生涯に参戦した合戦は大小あわせて57回におよび、いずれもかすり傷ひとつ負わなかったと言い伝えられています。

「蜻蛉が出ると蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり」と川柳に読まれるほど、敵味方問わず賞賛される武将でした。

2:片鎌槍

加藤清正が愛用していた片鎌槍は、元は十文字三日月槍であったとされ、天草一揆討伐の激戦中十文字槍の片刃が折れてしまったという説や、朝鮮の役で虎との戦いで噛み折られてしまったなどの説があり、それを片鎌槍と称して愛用し続けたという話が伝わっています。また、その後は八十姫の輿入れ道具として持ち込まれ、紀州徳川家に伝えられました。

現在では東京国立博物館に所蔵されていますが、この槍は折れた痕跡がないそうです。

加藤清正

加藤清正は肥後熊本潘初代藩主であり、豊臣秀吉の家臣として忠義を尽くした武将です。また賤ヶ岳の戦いで活躍し、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのっしちほんやり)と呼ばれました。

豊臣秀吉配下のうち福島正則らとともに軍務を担った武断派で、政務を担う文治派の武将である石田三成とは犬猿の仲といわれています。秀吉亡き後は徳川家康の天下を認め、関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に加勢し九州の西軍勢力を破る功績を挙げました。

3:人間無骨

和泉守兼定作「人間無骨(にんげんむこつ)」は森長可が愛用した槍で、表の塩首(穂先の柄に接した部分)に「人間」、裏の首に「無骨」と彫られた十文字槍です。この槍の前では人間の骨などないも同然と言う意味があり、それほどに鋭い切れ味・突き味を持っている槍です。

伊勢長嶋の一向一揆攻めでは、初陣でありながらこの槍を振るい27もの首級をあげ、その後森長可は死ぬまで人間無骨を手に戦に出陣し続けたとのことです。

森長可

織田信長の小姓で知られる森蘭丸の兄である森長可は、二男でありながら父と兄を続けざまに亡くしたことにより森家当主となりました。

森長可は部隊を率いる立場になっても最前線に立つ勇猛さと、勝利のためならば女子供であろうと容赦なく殺害する非常さを持つ武将ですが、凄まじい成果を上げるため織田信長に寵愛されることとなります。

気性の激しい怒りっぽい人物ですが、戦場での勇猛果敢なその姿から「鬼武蔵」と称されました。

4:皆朱の槍

皆朱の槍は朱色をした槍であることを指し、武功をあげた者にだけ許される槍でしたが、前田慶次は前田家伝来の槍として朱色の槍を愛用していたとされます。この槍がどのようなものであったかはわかってはいませんが、前田慶次所有の槍に「平三角造直槍」という朱柄の大槍が残っています。

穂先から柄の末端までの長さが313cmの大身の槍で、柄には螺鈿が施され、直槍にもかかわらず十文字の形をした錆漆塗りの鞘が付いています。

前田慶次

戦国の傾奇者と称される前田慶次ですが、本当の名は前田利益といいます。本人自筆で慶二郎や慶次、利貞など複数の名前を用いていました。

滝川一族の出身で、前田利久のもとに養子に入り、義理の叔父である前田利家のもとで働きました。ところが利家と仲違いして出奔して以降、上杉景勝に仕えるなど記録はありますが、不明瞭な点が多い人物でもあります。

和歌や漢詩などに秀でており、高い教養をうかがわせる人物とされます。

5:日本号

日本号は「ひのもとごう」とも呼ばれる槍で、天下三名槍のひとつにして「日の本一の槍」と称される槍です。穂二尺六寸一分五厘(79.2cm)、拵えを含め全長10尺六分余(321.5cm)、総重量2.8キロ、樋に優美な倶利伽羅龍の浮彫がある槍です。

元は皇家所蔵の品で、無銘の槍でありながら正三位を賜ったとされます。皇家から足利義昭へ下賜され、数々の武将の手に渡り、その後は福島正則に与えられました。

福島正則

加藤清正と同様賤ヶ岳の七本槍のひとりで、一番槍として敵将を討ち取る武功をあげた武将です。母親が豊臣秀吉の叔母であったため、その縁から幼少より秀吉に仕えました。秀吉の死後は、石田光成との仲が険悪となり、関ヶ原の戦いでは加藤清正らとともに徳川家康につきました。

また日本号のエピソードに、黒田如水の家臣母里友信に「この酒を飲めたらなんでもやる」と絡み、本当に日本号を与える羽目になったという話は有名です。

大千鳥十文字槍の歴史を知ろう

ゲームでも知られるようになった真田幸村のイメージ像にある、朱槍である大千鳥十文字槍にはちゃんとした意味があり、また大千鳥十文字槍を持てるという事で真田幸村の武人としての働きぶりや実力を表しているといえます。

このように、歴史上の人物が持つ物にもいろいろなエピソードや歴史があります。真田幸村の大千鳥十文字槍だけでなく、他にも興味のある人物がいるならば、その持ち物から歴史を調べてみてはいかがでしょうか。
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