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2019年03月25日

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選

佐々木小次郎と言えば、宮本武蔵との巌流島の決闘で有名な江戸時代の剣士です。NHKの大河ドラマの主人公としても描かれたほどの歴史上の有名人ですが、実は近年その実在を疑う声があがっています。この記事では佐々木小次郎の伝説をもとに、その知られざる謎に迫ります。

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選

佐々木小次郎は実在したのか?

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
江戸時代の剣豪というと宮本武蔵が有名ですが、そのライバルである佐々木小次郎の名前も今日まで広く知れ渡っています。

佐々木小次郎はかの有名な巌流島の決闘で宮本武蔵に敗れ、若くして亡くなったこともあり、どのような生涯を送ったのか不明瞭なところが多く、その実在を疑う声も存在しています。

この記事では、実在すら疑われるほど謎の多い剣豪である佐々木小次郎の生涯と、彼にまつわる伝説に迫ります。

佐々木小次郎のライバル・宮本武蔵

佐々木小次郎を語る上で欠かすことができないのが、そのライバルである宮本武蔵です。江戸時代を代表する剣豪である宮本武蔵は武者修行中に、福岡県北九州市の小倉藩にて同じく剣豪として名の知れていた佐々木小次郎の噂を耳に入れ、知人である長岡佐渡を通じて決闘を申し込みました。

それが、慶長12年にあったと伝わるかの有名な巌流島の決闘です。当時宮本武蔵は29歳、佐々木小次郎は18歳ほどだったと伝わっています。

謎に包まれた佐々木小次郎の伝説10選

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
佐々木小次郎は巌流島の決闘にて宮本武蔵に敗れ、18歳の若さでこの世を去ったため、その生涯についてはよくわからない部分が多く、その実在を疑う郷土史家もいるほどです。

本当に佐々木小次郎は実在したのでしょうか。彼が実在したことを100%証明することは難しいものの、彼が実在していたであろうことがうかがえる伝説はいくつも残されています。

ここからは、謎に包まれた佐々木小次郎の伝説をご紹介していきます。

1:佐々木小次郎の生まれ・2つの説

佐々木小次郎がその実在を疑われるひとつの要因になっているのが、その生まれについてはっきりとしないということです。

佐々木小次郎がいつどこで、またどのような両親の元に生まれたのかを確定できる歴史史料はなく、その生まれについては2つの説が有力視されています。

そこでここからは、佐々木小次郎が実在したかどうかを知る手掛かりとなる、その生まれに関する伝承を詳しく見ていきましょう。

1:豊前国田川郡副田庄

佐々木小次郎の出生に関するひとつの有力な説が、現在の福岡県田川郡添田町にあたる、豊前国田川郡副田庄にて生まれたという伝承です。

「佐々木小次郎」という名前が後世に伝わっていることからわかるように、この土地の有力な一族であった佐々木氏のもとに生まれたとされています。

佐々木氏は鎌倉時代から田川郡を治めていたとされる豪族で、幼少の頃は彦山にて修行に励んだと伝わってもいます。

2:越前国宇坂庄浄教寺村

福岡県で生まれたとする説がある一方で、熊本藩の豊田景英が著した「二天記」の中では、佐々木小次郎の出生地は現在の福井県にあたる越前国宇坂庄浄教寺村であると記されています。

宇坂庄浄教寺村の近くには修験者が訪れる一乗滝があり、佐々木小次郎はその有名な必殺技「燕返し」をこの一乗滝での修行で会得したという伝承もあるほどです。どちらの説が正しいにせよ、その出生をめぐる説からは彼が実在したことがうかがえます。

2:佐々木小次郎の師匠・2つの説

佐々木小次郎と言えば、宮本武蔵がわざわざ決闘を挑むほどの剣豪です。

福岡県にあった小倉藩で剣の指南をしていたと伝わっていますが、その剣術を誰から学んだのかについても説が分かれており、佐々木小次郎が実在したかどうかを不明瞭にさせるひとつの要因になっています。

ここからは、佐々木小次郎が師事したと伝わる師匠に関する2つの説を取り上げ、それぞれについて詳しく解説していきます。

1:富田勢源

佐々木小次郎の師匠として伝わっている一人目の人物が、富田勢源です。富田勢源はさまざまな史料から、実在していたことが確認されている江戸時代の人物です。

富田勢源は剣豪・鐘捲自斎のもと修行を収めたと伝わっており、その剣術の腕をかわれて越前朝倉氏に仕えました。

しかし眼病を患い剣の道を続けることが難しくなったことから剃髪し、弟に家督を譲ることになりました。

2:鐘捲自斎

鐘捲自斎こそが、佐々木小次郎の本当の師匠であるとする説も存在します。鐘捲自斎も富田勢源同様、史料からその実在が確認できる人物です。

鐘捲自斎は鐘捲流剣術を生み出した剣豪中の剣豪であり、現在の福井県にあたる越前の有力一族・印牧氏の出であると伝わっています。

佐々木小次郎の出生地も福井県との説があるため、同郷である鐘捲自斎に師事していたとしてもおかしくはありません。前原弥五郎を弟子としたことでも有名です。

3:剣法「燕返し」誕生説

その実在がヴェールに包まれている佐々木小次郎ですが、伝説では厳しい武者修行の中で秘儀「燕返し」を案出したされています。

佐々木小次郎は剣豪・富田勢源のもとに弟子入りをしてそのもとで剣術の腕を磨いていましたが、一乗滝での修行中に燕を見かけ、自由自在に飛び回る燕を切り落とすことができれば剣の腕が上達すると考え、秘儀「燕返し」を生み出しました。

佐々木小次郎が実在したことがうかがえる伝承だと言えるでしょう。

4:佐々木小次郎は別名が多すぎる説

数々の伝説が残っていることからも、佐々木小次郎は実在したと考えられていますが、別名が多すぎるがゆえに、研究者の中にはその実在を疑う人もいます。

別名が多いということは、佐々木小次郎という人物が実在したわけではなく、そのモデルとなる複数の人物がいたのではないかとする説もあるほどです。

ここからは、佐々木小次郎の実在が疑われるひとつの要因である、多すぎる別名について詳しく見ていきましょう。

厳流・岩流

佐々木小次郎という名前が史料の中に一貫して確認できるわけはなく、宮本武蔵の息子が手向山に建立した「小倉碑文」では「巌流(岩流)」という名前が記されているだけです。

また、武蔵の死の30年ほど後に書かれた「沼田家記」では、「小次郎」という名前が出てくるだけです。

佐々木小次郎という名前が初めて確認できるのは、武蔵の死から1世紀後に記された「二天記」です。このことが、佐々木小次郎の実在が疑われる理由です。

5:佐々木小次郎は美男子だった?

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
別名が多く、その生涯がわかる明確な史料が残されていないことから時に実在すら疑われる佐々木小次郎ですが、後世の小説や漫画では美男子として描かれる傾向にあります。では、実際に佐々木小次郎は美男子だったのでしょうか。

結論から言うと、実在すら疑われるほどの佐々木小次郎については当然、その容貌がうかがえる史料も残されておらず、美男子というのは後世に脚色されたイメージであると考えられています。

6:剣術の流派

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
実在したかどうかが疑問視されることもある佐々木小次郎ではありますが、彼が生み出した剣術は確かに後世に伝わっています。

佐々木小次郎は師匠である富田勢源のもとでの厳しい修行中に「燕返し」の秘儀を生み出し、さらにはそこから一層精進して、「岩流」と呼ばれる流派の開祖となっています。

佐々木小次郎は剣の腕をかわれて今の北九州市にあった小倉藩の剣術師範となり、そこを中心に岩流を広めていきました。

7:巖流島の決闘

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
佐々木小次郎について最も有名な伝説が、宮本武蔵との巌流島の決闘です。巌流島は山口県下関の関門海峡に位置する島です。

宮本武蔵は武者修行中に、小倉藩にて剣豪として知られていた佐々木小次郎の噂を耳に入れ、知人である長岡佐渡を通じて決闘を申し入れて行われたのが、かの有名な巌流島の決闘になります。

小次郎に勝つために武蔵がわざと決闘に遅刻したといのは吉川英治の小説『宮本武蔵』による創作で、史実ではありません。

8:佐々木小次郎の年齢

佐々木小次郎の実在が疑われる理由のひとつが、彼の生年・没年がはっきりとしないということです。

佐々木小次郎は巌流島の決闘で宮本武蔵に敗れて亡くなったと伝わっていますが、史料によってこの時何歳だったかが異なり、たとえば「二天記」では18歳だったと記されていますが、これについては誤記ではないかとの指摘もなされています。

一説には、宮本武蔵よりも年上で50歳を超えていたとされています。

9:佐々木小次郎の武器「物干し竿」

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
佐々木小次郎の実在についてはいまだ多くのヴェールに包まれていますが、彼が実在したことをうかがい知ることのできる伝説のひとつに、「物干し竿」のエピソードがあります。

佐々木小次郎は師匠・富田勢源のもとでの修行中に、たまたま目に舌物干し竿から、「師匠に勝つためには小太刀よりも長い刀を使う必要がある」と考え、物干し竿で剣の練習をしたと伝わっています。

10:佐々木小次郎のお墓

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
佐々木小次郎が実在したかどうかを知る手がかりになるのが、そのお墓です。巌流島の決闘で宮本武蔵に敗れ絶命した佐々木小次郎のお墓は、山口県の阿武町にあります。

佐々木小次郎の妻ユキはキリシタンで、幕府の迫害を逃れて人里離れた阿武町の寺に出家し、そこで夫の死を弔うために墓を建てました。墓石には、「佐々木古志らう」の名前が刻まれており、ユキが意図的に「小次郎」の字を変えたと考えられています。

佐々木小次郎が出てくる作品5選

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
以上では、佐々木小次郎に関するさまざまな伝説をご紹介してきました。宮本武蔵の陰に描くれがちな佐々木小次郎ではりますが、もっとその人物像について知りたいと思った方も多いのではないでしょうか。

ここからは、佐々木小次郎が出てくるおすすめの作品を5つ厳選してご紹介していきますので、佐々木小次郎の人となりを自分なりに考えてみたいという方は、ぜひご覧になってみてください。

1:小説「宮本武蔵」

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
佐々木小次郎が出てくる作品としてまず挙げられるのが、吉川英治の小説である「宮本武蔵」です。

1935年から1939年にかけて連載された新聞小説で、剣豪・宮本武蔵を主人公に据えた小説ですが、武蔵のライバル的存在として、佐々木小次郎についても多くのページが割かれています。

上でもご紹介したように、巌流島の戦いで武蔵がわざと遅刻をしたことで佐々木小次郎に勝ったというのは、この小説の創作によるものです。

2:漫画「バカボンド」

「バカボンド」も、佐々木小次郎が登場する作品のひとつとして挙げられるでしょう。数々の漫画賞を総なめした名作です。

「SLUM DANK」で有名な漫画家・井上雄彦氏の作品で、宮本武蔵を主人公としていますが、佐々木小次郎はその同い年の好敵手として描かれています。

ちなみに、バカボンドの14巻から20巻にあたる第二章は佐々木小次郎編であり、耳が聞こえない剣豪という独自の設定が付け加えられています。

3:史料「二天記」

フィクションではなく歴史史料ではありますが、佐々木小次郎の人となりを知る上で欠かすことができないのが「二天記」です。

「二天記」は安永5年に熊本藩に仕える豊田景英が著した宮本武蔵の伝記ですが、景英自身は武蔵と面識があったわけではなく、その祖父から聞いた彼の生涯を伝記としてまとめたものになります。

二天記の中では、佐々木小次郎は巌流島の決闘のエピソードに関連して取り上げられています。

4:史料「小倉碑文」

佐々木小次郎について知ることのできる重要な歴史史料のひとつが、「小倉碑文」です。小倉碑文は現在の北九州市小倉北区の手向山に、宮本武蔵の死後、その息子である宮本伊織が建立した高さ4.5mほどの大きな石碑です。

宮本武蔵の生涯について知る重要な一次史料とされている小倉碑文ですが、巌流島の決闘に関する記述の中で、佐々木小次郎の名前は「岩流」と記され、あっけなく武蔵に倒されたとされています。

5:歌舞伎「敵討巖流島」

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
歌舞伎「敵討巖流島」も、佐々木小次郎が描かれた作品のひとつです。巌流島の決闘は、その勝者である宮本武蔵とその一門によって同時代から多くの人にドラマチックに語られたため、人形浄瑠璃や歌舞伎の主題にもなったほどです。

歌舞伎「敵討巖流島」は宮本武蔵の死後である江戸中期に生まれ、その初演は1737年であると伝わっています。

この歌舞伎を通じて、後世により一層巌流島の決闘のエピソードが広まることとなりました。

佐々木小次郎を描いたおすすめのドラマ

佐々木小次郎を描いた歴史ドラマを見たいという方におすすめなのが、役所広司さんが主演を務めたNHKのドラマ「宮本武蔵」です。

他の多くの作品同様にあくまでメインは宮本武蔵ではありますが、名優・中康次さんが演じた佐々木小次郎は凄みと迫力があり、今見ても思わず画面にくぎ付けになってしまうほどの魅力があります。

数あるNHKの歴史ドラマの中でも最高傑作と呼び声の高い作品ですので、ぜひご覧ください。

大河ドラマ「徳川家康」と並ぶNHK時代劇の最高傑作の一つ。
また余り知られていないが音楽がまた良い。三枝さん。
特に役所さんの武蔵がかっこいいことかっこいいこと。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RTP8KTMKVSNV... |

佐々木小次郎が実在しない1番の理由

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
以上では、佐々木小次郎の実在が疑われるさまざまな要因について解説してきました。ここからはより具体的に、佐々木小次郎が実在しないと言われる理由をご紹介していきます。

宮本武蔵の「五輪書」

佐々木小次郎が実在しないとされる一番の理由は、「五輪書」にあります。「五輪書」は宮本武蔵が晩年に熊本市近郊の霊厳洞で記したとされる電気的な作品で、彼が生み出した剣術の奥義や、これまでの闘いについて記されています。

残念ながら原本は現存しておらず、今日に伝わっているのはその写本です。

五輪書には巌流島の決闘が載っていない

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
「五輪書」は宮本武蔵本人が著したもので、この書の中で武蔵はこれまでの人生で60回以上の全ての勝負に勝利したと誇らしげに記していますが、肝心の巌流島の決闘についての記述はありません。

剣豪で知られる佐々木小次郎に勝利したのが事実ならば、それは武蔵にとって非常に名誉となるため、それを書かない理由はないはずです。にもかかわらずその記述がないため、巌流島の決闘も佐々木小次郎の実在も疑問視されています。

佐々木小次郎が実在したのか考えてみよう

佐々木小次郎は実在した?佐々木小次郎の謎の伝説10選
今回は非業の剣豪・佐々木小次郎について特集してきましたが、いかがでしたでしょうか。

宮本武蔵やその一門が残した史料からは佐々木小次郎の実在が疑問視されていますが、それでも今日まで、佐々木小次郎にまつわる伝説は多く伝わっており、また実際に山口県には彼のお墓があります。

佐々木小次郎は果たして実在したのかどうか、歴史ロマンに想いを馳せながら、ぜひ考えてみましょう。

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