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2019年01月09日

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選

前田慶次は戦国時代一のかぶき者という異名を持つ、織田信長と肩を並べるくらいの人気の戦国武将です。人気があるので、映画や小説、舞台、近年では少年漫画「花の慶次」の主人公としても描かれています。人気の前田慶次の家系や慶次の妻、子供について慶次の家族など紹介します。

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選

前田慶次とは

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選
前田慶次は生まれについては諸説あります。前田利家の兄の利久の養嫡子で、滝川一益の一族の滝川益氏の子であったという説と益氏の側室が利久の妻となった時、連れ子として前田家に入ったともいわれ、妊娠中に前田家に嫁いだとも、子がなかったので妻の前の嫁ぎ先の滝川一族から養子になったなど色々な説があります。

加賀の国前田家の一員で、前田利家の甥にあたり、色んな功績がありますが、いたずらの話が多い人物です。

前田慶次の出身地

前田慶次が生まれたと言われる年は諸説あって、1541年だろうといわれています。前田利久に子供が居なかったので、妻の連れ子の慶次郎を養子にしたとあったり出自がはっきりしていないこともあり、前田氏の本拠である荒子城(名古屋市中川区荒子)を出身地としています。

当時の荒子は、織田氏の支配下で信長の父、信秀の家臣の前田利春が城主でした。前田利春は、その後加賀100万石の城主になる前田利家の父です。

前田慶次の家系

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前田慶次は出生については、いくつかの諸説があるので、父親が誰なのかはっきりと分かっていません。一番有力な説は、織田信長の家臣であった滝川一益の甥の益重が父親だという説です。

その後、前田家当主、前田利久に子共がいなかったので、利久の妻の実家の滝川家から養子になり、前田の姓を名乗ったといわれています。前田慶次はもとは、前田家ではなくて滝川家の血筋を引いていることは確かです。

前田慶次はなにをした人?

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選
前田慶次は、加賀百万石の前田家の一族ですが浪人で、普通の人ならやらない変わったことを普通にする人です。前田家で末森合戦や小田原攻め、上杉家で最上攻めなどの戦に参加し、撤退戦で功を挙げたと言われます。

利家が 奥州検地に行った際は利家に従って津軽で検地しています。和漢の学問に優れており、源氏物語の講釈が得意だったとされています。文武に優れた武将といわれていますが、「具体的になにをした」というのは伝わっておりません。

前田慶次の妻が登場する作品5選

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選
前田慶次の妻と呼ばれる女性は実際に存在していたのでしょうか。前田利家の兄の保勝の娘を妻にし、一男三女や一男五女の子供を儲けたと言われています。

実在や架空の人物など前田慶次の妻と呼ばれる女性は、作品の中で描かれています。前田慶次の妻が描かれている作品を紹介します。

1:漫画「花の慶次」

花の慶次の漫画の中では、慶次の妻はいるともいないとも描かれていませんが、妻的存在で登場するのが、利家の正室のまつです。いつもおまつと良い雰囲気で描かれていて、慶次がおまつに恋心を寄せているように見えます。

徳川の世になって、慶次は琉球で出会ったリサという絶世の美女に出会い、京都で一緒に暮らすようになります。このリサという女性は架空の人物で、慶次はリサと最期を迎えます。

2:ドラマ「利家とまつ」

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選
利家とまつのドラマでは、利家とまつの夫婦中は非常に良かったように描かれています。前田慶次との関係ですが、まつと利家から見ると、年上の義理の甥という関係になります。

慶次とまつとの間にロマンスがあるように描かれることが多いですが、慶次に関する資料も少ないので、どのような人物なのか、はっきりしていません。しかし、ここではまつと前田慶次の接点はないとされ、恋愛関係になるようなことはなかったとされています。

3:ドラマ「かぶき者慶次」

かぶき者慶次では、妻は前田美津が描かれていますが、この妻は架空の人物です。この物語の慶次は家にも帰らず、好き勝手にしている慶次を支える妻として描かれています。

妻の美津は金沢に住んでいて、慶次は米沢に住んでおり、金沢から妻が来るたびに逃げ回る生活をしていて、それでも慶次を見捨てることなく、素晴らしい妻として描かれています。

4:宝塚歌劇「一夢庵風流記 前田慶次」

宝塚傾奇絵巻「一夢庵風流記 前田慶次」として、2014年宝塚雪組で公演されています。雪組トップコンビのさよなら公演ともなって話題になった作品です。前田慶次の妻は一切出ず、まつとのロマンスが描かれています。

荒子城で結婚の約束を密かにしていましたが、前田利家の正室になることになりましたが、慶次と契を結ぶことになります。まつは慶次の妻ではないですが、心底惚れてる女性とされています。

5:小説「一夢庵風流記 上 / 隆慶一郎全集 15 」

戦国時代末期から江戸時代にかけての武将の前田慶次利益を描いた時代劇小説になります。天下の傾奇者といわれている前田慶次を中心に友情物語や利家を氷風呂に入らせたり、前田家を出た後も権力者に媚びることなく、弱い者へは優しい人物と描かれています。

詩歌を嗜み、茶道に通じる教養の豊かで、敵もみ方も男も女も惚れさせる魅力的な人物で、前田慶次の妻は出てこないのですが、まつとは艶めかしい感じで描かれています。

前田慶次の妻は実在したのか

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選
前田慶次の正式名は、前田利益で、養父の前田利久の弟の前田安勝の娘を妻にしています。男が1人、女が4人生まれています。

この男の子が後の前田正虎といわれていて、前田利家に仕えますが、慶次が出奔した時には、慶次の妻である母と残って加賀藩士として一生を終えたといわれています。慶次の妻は実在したのか、何て言う名前だったのでしょうか。他にも諸説があります。

前田慶次の妻の詳細は不明

前田慶次の妻は実在したのか?前田慶次の妻が登場する作品5選
前田慶次の妻の詳細は不明で、存在していたのかはハッキリしていません。歴史上の妻は、養父前田利久の弟、「前田安勝の娘」となります。でも名前の記載がないので今も詳細がわからないままになっています。

作品によって妻の描かれ方が違う

前田安勝の娘としか記載も資料となるものが残っていないので、どのような女性なのかはまったく分かりません。

作品によっては、天下無双の傾奇者と呼ばれる前田慶次の妻なのだから、夫である慶次を深く理解しているように描かれている作品が多いと感じられます。本当の名前が不明なので、作品によって名前も違っています。

前田慶次の妻の名前は不明

前田安勝の娘の名前の記載が無いので、前田慶次の妻の名前は不明ということになります。天下無双の傾奇者前田慶次朗という本には、於せんという名前で妻が登場していますが、物語上ついて名前とされています。

1:まつ

まつは、前田利家とは従兄妹にあたり、前田家の当主になる利家の正室になります。前田利家と前田慶次は、義理の叔父と甥という関係で、後に、慶次は利久と前田利家の家来になります。

まつと慶次は義理の叔父の正室と甥という立場なので、恋仲だったのか真実はわかりませんが、不義密通や前田慶次に恋心を寄せているとされるのは、すべて創作の話となります。

2:美津

前田慶次の妻、美津はドラマの中で描かれた架空の人物なります。ドラマの中の妻、美津は家にも帰らないで好き勝手にしている慶次を支えます。

妻の美津は金沢に、慶次は米沢に住んでいて、時々金沢から妻が来るたびに、逃げ回る生活をしますが、それでも慶次を見捨てることなく、素晴らしい妻と描かれています。

前田慶次の妻は前田勝安の娘

前田慶次の妻は、七尾城主前田安勝の娘で、名前は不明です。傾奇者として有名な慶次を支えて一男四女を儲けた女性で、我慢強い性格の可能性は高いです。女の子の数には諸説があって、女子は2~5人と言われ、正確な人数というのはわかっていません。

結婚生活

慶次と結婚し、加賀で暮らしていましたが、利家と不仲になり慶次は出奔し、慶次の妻と子供は前田家に残りました。

まだ妻の安勝が健在だったために、慶次の出奔のお咎めはありませんでした。しかし、1587年に養父の前田利久が亡くなると、慶次がその後を継ぐことになるのですが、慶次は出て行ってしまったため、息子の正虎が前田家の家臣となって利久の後を継ぎました。

前田慶次の人柄

前田慶次は、創作作品の中では、豪傑で型破りのイメージが強く、慶次は世の中を軽んじている人物を小馬鹿にする癖があったようで、利家を氷の張る水風呂へ入れた話は有名です。

傾奇者と言われていましたが、実際の慶次はいろいろな文化人との交流が盛んで、和歌や連歌を嗜み、公家達と和漢古今や源氏物語などの書を楽しんでいました。当時の武士ではかなり高い教養があり、とても魅力的な人物だったと感じられます。

前田慶次の妻の生涯

慶次が利家と仲たがいして出奔した後も、加賀に嫡男正虎と加賀に残り、前田家に貢献し続けたといわれています。慶次が出奔した後は、加賀でどのように過ごし、いつ没したのかは、妻については記録がないので、詳しいことはわかりません。

加賀前田家の処世術がわかる

大名の中でも100万石の加賀藩が、内外のトラブルから危機を巧みに機転をきかして潜り抜いていく、したたかさや生き抜くための知恵などを紹介します。

部下の性格を利用したり、仕事が一級の者は気配りも一級、力を発揮できるチャンスを逃がすななど、現代に通じる格言や教訓など取り上げてあり、加賀藩の藩主だけでなく家来も含めた武士のエピソードなども書かれています。

前田慶次のこども

前田慶次の妻や子どもはどのような人だったのでしょうか。前田慶次の妻は、叔父の前田利家の兄にあたる、前田安勝の娘とされる女性です。

二人の間には、5人の娘と嫡男の前田正虎がいます。マンガやドラマの奇抜のイメージが強い前田慶次ですが、慶次の血を引く正統な後継者がいないというのはとても残念です。

長女

前田慶次の長女の名前は、華(はな)と言います。前田利長は利家の嫡男で、初代加賀藩の藩主になりますが、余り男児に恵まれなくて、側室は5~6人はいたということでしたが、前田慶次の娘の華が側室だったかは不明です。

有賀左京に嫁いでからさらに、大聖寺藩士の山本弥右衛門と再婚しました。結婚と再婚を繰り返していたために、一時的に慶次のもとで、世話になっていたと考えられます。

次女

1590年の小田原攻めの後で、前田利家は氏政の弟の氏邦の助命を秀吉にお願いし、許されました。氏邦が金沢で亡くなると、大徳寺の僧となっていた末っ子を呼び戻して、北条正三郎と名乗らせ、俸禄1000石と前田慶次の娘の坂(さか)を嫁がせました。

このことで徳川家康は前田家に意見しましたが、利家の返答でお咎めはありませんでした。

三女

前田慶次の三女の名前は不明で、加賀藩の長谷川三右衛門の正室として嫁いだといわれています。長谷川三右衛門は政隣記という加賀藩の資料にも名前が出ています。

政隣記とは、天文7年から文化11年までの加賀藩政を編年でまとめた史書のことです。慶次の娘たちはすべて他家へと嫁いだと記録が残されているので、慶次の系統はなくなってしまいました。しかし、家系のいずれかの子孫は残っている可能性はあります。

四女

加賀120万石の礎を築いた名君として名高い、前田利常の家臣の平野弥次右衛門に前田慶次の四女は嫁いだといわれ、その名前は不明です。

平野弥次右衛門自身の話ではないですが、大坂夏の陣の際、真田丸を攻めていた弥次右衛門の
従者の五右衛門という人のエピソードは残っています。

五女

五女の名前は佐野(さの)といい、富山藩士戸田弥五左衛門(勘解由)方経の室にそれぞれ嫁いだという記録が残っています。前田慶次は米沢にずっと住んでいたのではなく、一時期京都に行っていたといわれており、その時に北陸から船に乗せてもらったときに、富山藩士の戸田方経と知り合いになりました。

これがきっかけで、慶次の娘が嫁いだと考えられ、戸田弥五左衛門は、前田家の寛永4年侍帳にも名が見られる実在の武士です。

長男

前田慶次の嫡男は、前田正虎といいます。1587年に慶次の養父の利久が亡くなると、慶次が跡継ぎになるのが本当ですが、前田慶次本人が出て行ったために息子の正虎が前田家の家臣となって、利久の土地を継ぐことになりました。

上杉家に仕えていた慶次に、関ヶ原の合戦前後に正虎が前田家に帰ってくるように慶次に伝えたが、断られたために親子の縁を切ったといわれています。正虎は後継者を残さずに亡くなったといわれています。

前田慶次の妻の作品を見よう

一夢庵風流記や花の慶次など、妻と名乗る女性や、妖しい関係の女性などが小説や漫画で出てきますが、実在した慶次の妻はどんな女性だったのでしょうか。それぞれ作者によって描かれる人物像は違いがありますが、共通して言えることは、天下一の傾奇者と言われた夫を優しく見守る妻の姿です。

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