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2019年01月11日

源頼光と四天王とは|頼光四天王の逸話と伝説を知ろう

源頼光と彼につき従う四天王をご存知でしょうか。源頼光四天王を知らなくても、金太郎や鬼女・土蜘蛛・酒呑童子退治の平安時代の武将の逸話を耳にしたことがあるのではないでしょうか。今回は、源頼光四天王の逸話や伝説について詳しくご紹介していきます。

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源頼光とは

源頼光は平安時代中期の武将で、武士団とともに摂津国多田の地を相続していたため、子孫は摂津源氏と呼ばれる一族です。

源頼光は鎮守府将軍の源満仲の長子で、清和源氏の3代目にあたります。

源頼光は諸国の国司を歴任し、藤原家と組んで勢力を拡大して富を築いたことで有名な貴族的な武将です。武勇にも優れていたため、大江山酒呑童子退治の説話があります。歌人としても「拾遺和歌集」などに計3首の和歌が載せられています。

源頼光四天王とは

源頼光の母である嵯峨源氏・近江守・源俊の娘の一族の嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭に4人の武将を、頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)と呼びます。

四天王は人形浄瑠璃・歌舞伎・狂言・舞踊などの、史書というより小説に近い軍記の登場人物です。四天王とはもともと、仏教における天に住む4人の守護神のことで、四大王衆天とも呼ばれています。

卜部季武と碓井貞光は正確な人物像は不明です。

渡辺綱

四天王筆頭の渡辺綱は、先祖が「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルです。本人も大層な美男子でなおかつ剛勇であり、渡辺氏の祖となりました。正式な名は源綱で、通称が渡辺源次です。

源頼光の四天王といえば、渡辺綱が代表格です。生誕地は東京の三田です。京都の酒呑童子退治や、一条戻り橋で鬼の腕を切り落とした逸話がとても有名な平安時代中期の武将です。

坂田金時

源頼光の四天王の一人である坂田金時は、平安後期の武士で幼少期の名が金太郎です。実在していたかどうかはいまだに不明です。

生まれは相模足柄山で、いくつもの伝説を残した人物です。坂田金時の父は宮中に仕える阪田蔵人で、産まれてすぐに亡くなりました。

天延4年3月21日(976年4月28日)に足柄峠で源頼光と出会い、力量を認められて家来になりました。そのときに坂田金時と改名して、頼光四天王の一人になりました。

卜部李武

源頼光の四天王の一人とされる卜部季武は、平安時代中期の武将で、正式な名前は平季武です。祖先は坂上苅田麻呂です。

卜部季武の父・坂上季長は源頼光の父親に仕えていました。源頼光とその母を救った功績により、卜部季武が源頼光の四天王として仕えることになりました。

碓井貞光

源頼光の四天王の一人である碓井貞光は、平安時代中期の武将です。平姓または橘姓ともいわれていて、生まれは相模国碓氷峠のあたりです。平忠通が息子で、三浦・鎌倉氏の先祖だともいわれています。

身の丈約2メートルの大男で、戸隠神社のお告げから源頼光に仕えて四天王になりました。碓井貞光には、四万温泉や巨大な大蛇退治などの数々の伝奇物語が存在しています。坂田金時を源頼光四天王に招き入れたもの、碓井貞光です。

渡辺綱の逸話

源頼光四天王の一人である渡辺綱は、945〜1025の平安中期に活躍した実在の人物です。数々の妖怪との武勇伝があり、剣豪としても有名です。

渡辺綱が膝丸という名刀で、奈良の土蜘蛛を倒した話が平家物語に出てきます。土蜘蛛は大和朝廷に反発する土着民の地方豪族のことだといわれています。渡辺綱親子が朝廷に寝返ったため、渡辺家の子孫は土蜘蛛と戦う運命にあるという伝説も残されています。

一条戻り橋の鬼

渡辺綱が一条戻橋で鬼女と出会う話しは特に有名です。

源頼光に深夜、渡辺綱が一条大宮に派遣されます。その帰りに、渡辺綱が一条堀川の一条戻橋に差し掛かると、馬に乗せて欲しいという女房に出会います。馬に乗せると女房は鬼に変化して渡辺綱の髷をつかんで飛び上がります。その鬼の片腕を、源頼光に渡されていた髭切という刀で切り取り、難を逃れます。鬼の正体は渡辺綱の伯母で養母にあたる者であったというオチがあります。

茨木

茨木童子とは、源頼光と四天王が退治した酒呑童子の最も重要な弟子です。茨木童子の出生地は大阪または新潟県です。

酒呑童子とその家来の茨木童子は、京都の大江山を本拠地にして都を荒らし回った鬼の一味です。酒呑童子は源頼光四天王に滅ぼされましたが、茨木童子は腕を切られて逃げのび、渡辺綱と一条戻橋や羅生門で戦ったと故事にあります。

茨木童子は巨漢で、生まれたときから歯が生えそろっていたといわれています。

椿姫

渡辺綱が一条戻橋で出会った鬼は、宇治の橋姫であるとの説があります。宇治の橋姫とは男に捨てられた鬼女で、丑の刻参りの元になった貴船明神の伝説の女性です。

渡辺家は難波の渡辺の地を中心に、渡場・橋詰などで渡渉の仕事に就き、水霊鎮斎、水難防止の呪術に携わっていたといわれています。綱という名は綱渡し・籠渡しに使われる綱を意味するという説もあります。

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源頼光四天王が土蜘蛛と戦う、とても珍しい絵柄です。歌舞伎や浄瑠璃の題材にもなる源頼光四天王の土蜘蛛退治の図は、たいへん芸術性の高い構図です。歴史に興味がある方にピッタリのスマホケースで、女性の方にもおすすめです。

坂田金時伝説

源頼光四天王の一人である坂田金時は歴史上、伝説上、どちらでも有名な人物です。

坂田金時の伝説は、神奈川県南足柄市に多く残されています。坂田金時のマサカリや腹掛け姿から鍛冶屋を想定して、いち早く鉄文化を取り入れた古代の豪族の一族であったとされています。他にも兵庫や滋賀県など、各地に伝説が残されています。

坂田金時は、金時豆・きんぴらごぼうの名前の由来です。母親が山姥、雷神・赤龍の子供などの説もあります。

金太郎のモデル

金太郎のモデルは下毛野公時という、藤原道長に仕えていた優秀な近衛兵ではないかといわれています。

藤原道長の日記や当時の資料に載っている下毛野公時が、脚色されて後世に伝えられたという説が有力です。金太郎の名が広く出回ったのが江戸時代以降なので、歌舞伎や浄瑠璃の発展とともに伝説が独り歩きしていったといわれています。

頼光四天王と藤原保昌

藤原保昌とは平安時代の摂津守で、源頼光と併称されるほどの武勇の持ち主で和泉式部の夫としても有名です。

源頼光四天王の代わりに、酒呑童子退治の主人公になっている説話も残されています。

藤原保昌とは

藤原保昌は源頼信・平維衡・平致頼らとともに道長四天王とも称された剣豪です。歌人としても有名です。

摂津の平井に住んでいたことから、平井保昌ともいわれていました。藤原道長父子の家司を務め、たいへん武勇に優れていました。笛を吹きながら歩く藤原保昌に、盗賊も手を出せなかったほど豪肝な人物でした。

藤原保昌は和泉式部のために宮中の梅を盗み、花盗人の由来になるほど有名な豪放磊落な人物でした。

酒呑童子退治

酒呑童子退治における藤原保昌は源頼光四天王の郎党ですが、当時の源頼光と藤原保昌はライバル関係で同等に扱われていました。

安倍晴明の占いにより藤原保昌と源頼光四天王は、大江山に住む鬼である酒呑童子の成敗に向かいます。酒呑童子が無類の酒好きのため、毒の入った酒を飲ませて首を取り、京へ持ち帰ります。その際、源頼光の兜に酒呑童子の首が噛みついたとの逸話があります。首は宇治の平等院の宝蔵に納められました。

源頼光四天王についてもっと知ってみよう

源頼光四天王は、誰もが知っているさまざまな逸話がある有名な人物たちです。

源頼光四天王はそれぞれに歴史や不可思議な物語があり、たいへん興味深い武将たちです。今回の記事には載せきれない数々の伝説と武勇伝があります。源頼光四天王ゆかりの神社や景勝地も全国にたくさんあります。

源頼光四天王の歴史や逸話を知り、歴史ロマンを楽しみましょう。
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