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2019年01月10日

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ

戦国武将と言えば、合戦の時には鎧で身を固めて出陣するというイメージが色濃いのですが、中でも織田信長の鎧として有名なのが「南蛮胴」と呼ばれる甲冑や具足です。今回は織田信長の南蛮銅の特徴を8つご紹介しつつ、信長が所有した実在する兜を3つ含め特集です。

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ

織田信長について

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
織田信長と言えば、多くの方々に広く知られている戦国武将の最たる人物です。実際に天下統一も果たし、安土・桃山時代を築き上げた歴史上の偉人です。そんな織田信長の甲冑が、とても目立って恰好がいいと、一部マニアの間では高い評判をされています。

そこで今回は、織田信長が戦の時に身に着けていた鎧、甲冑についての特集です。

織田信長の鎧とは

織田信長が愛用していたとされる鎧は、「南蛮胴(なんばんどう)」と呼ばれている種類です。元々ヨーロッパで広く使用されていた胴鎧が、16世紀頃の日本に伝わり和風な改良をされています。前後2枚の鉄板が使われ、胴下端が尖っています。前面中央部は鋭角的に盛り上がっていることも特徴です。

火縄銃の攻撃を受けても強いとされていました。武将としても位の高い織田信長らしい装甲性能やデザイン面で、優れて目立っています。

織田信長と南蛮胴の関係

ところが、織田信長の代名詞的な鎧である南蛮銅の伝来と、織田信長が活躍した時代とが一致しないということも判明しています。史実では、1588年にポルトガル領ゴアのインド副王(総督)より、豊臣秀吉への外交文書(妙法院所蔵)とともに贈呈されている目録上の甲冑こそ、日本で最初の南蛮胴だとされています。

もう既にその時は織田信長はこの世にはいないことになっているので、南蛮銅との関係性は謎に包まれています。

織田信長の兜

戦国武将たちの兜には、それぞれ各人が思い入れのある対象をモチーフにするというのが習慣化されていました。ユニークなシンボルを額に装飾した兜が現存しています。織田信長の兜に関してもそれは同じで、虚勢を張って表している感じがします。

織田信長の兜には、鳥の巣と神の御加護を表す「木瓜紋」と「御簾」の2タイプがあります。織田信長の強い信仰と意志が込められています。

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
ここでは、織田信長の鎧として知られている南蛮銅にスポットを当ててお送りします。戦国時代の頃、日本はスペインやポルトガルとの交易である「南蛮貿易」が行われ、その際に洋式の甲冑が日本に輸入されてきました。南蛮銅は西洋の甲冑をベースにして和装に見合った改良をしています。

1:ヨーロッパの鎧を改造したもの

戦国時代の頃にポルトガルやスペインなどで使われていた西欧式の甲冑と、元々日本で使われていた鎧とを組み合わせているのが南蛮銅です。最大のメリットは守備に機能的であることです。板金技術に優れた作りなので、当時の鉄砲だった火縄銃に耐えうる鎧です。

織田信長が代表的な一人とされていますが、豊臣秀吉や徳川家康など、位の高い限られた武将のみが所有していました。

2:前面中央が鋭角に盛り上がり防弾効果がある

南蛮銅の強度が高いのは、正面の胸から腹にかけての盛り上がり部分に秘密があります。これは「鎬(しのぎ)」と呼ばれる部分で、元々は刀の刃の峰部分で厚みがあり、刀剣の強度を保持しています。刀のように鋭角にし鎧の部位の中でも一番の厚みを持たせているので、防御が利き、銃弾を受けても貫通しない作りとなっています。

3:重い

南蛮銅は防御に優れているのがメリットではありますがデメリットもあります。それが重さです。一般的な鎧よりも金属部分が多く重厚な作りになっていることもあり、それ相応な負荷が掛かってしまうのは否めなかったとされています。

実践での機敏さを図るとしたら、一般的な具足のほうに軍配が上がります。なのでシンボリックにアピールを誇示したり、あくまでも防御をメインとした武将クラスの高貴な武士のための鎧と言えます。

4:南蛮銅の普及は日本の地形による理由が大きい

スペインやポルトガルから輸入された西欧の鎧をなぜそのまま使用しなかったのでしょう。これには日本国土の地形に理由があるとされています。日本国土は方々を山岳地が占めていること、また城の形式の違いもあって、武士達は傾斜地や石垣をよじ登って戦闘をする場面が多かったとされています。

実は西洋の甲冑はそのような地形には向いていない構造だったこともあり、改良をする必要性が出たからだとされています。

5:フルオーダーから普及型へと改良

南蛮銅のオリジナルだった西洋甲冑は、そもそもフルオーダー制による製作を主体としていました。そのため一度作った完成品はオーナーのみが着用して動きが取れるので、他の人物が着用しても動きが悪くなり装着困難だったという欠点がありました。

そこで日本人の体系にも合うよう比較的に凡庸型な甲冑を作って家来たちにも装備させる意味で、日本独自の南蛮銅へと改良が施されました。

6:多くの武将が取り入れた自分のシンボル

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
南蛮銅の鎧が愛用された戦国時代、有名な武将たちはこぞって自分のために製作を依頼しました。その際、各武将たちは自分の信念、げんかつぎのようなモチーフを取り入れ、兜にシンボルとして施すことが流行りました。

戦場で目立ち、威厳や地位を誇示する役目も担っていました。例えば、伊達正宗の兜には道教の意味を表す「三日月」のマークが取り付けられ、真田幸村は、神の使いと死後を表す「鹿の角」と「六文銭」が施されました。

7:南蛮銅を広めたのは徳川家康

実は織田信長よりも南蛮銅をこよなく愛用し続けたのは、徳川家康のほうだったとされています。徳川家康は自らが南蛮胴具足を愛用していたことを明かしています。それだけではなく家臣だった榊原康政、渡辺守綱らにも分け与えています。黒田長政には、自身の南蛮兜を与えていて、実際の関ヶ原の戦いでも着用していたとされています。

8:織田信長は南蛮銅を使用してなかった疑い

南蛮銅の鎧兜としてすぐイメージされる織田信長ではありますが、本当は南蛮銅が誕生する以前に亡くなっているため、単なる後付けで誰かが模造しただけではないかという説がかなり濃厚です。その証拠として、織田信長の所有していた南蛮銅は見つかっておらず、実存したのかどうかも不明とされています。

ちなみに、現存する織田信長の南蛮銅とされているものは、江戸時代に作られたレプリカ作品です。

織田信長の鎧フィギュア

「第六天魔王」と自称した織田信長の武将フィギュアです。鎧甲冑、刀、刀置き、旗指物、名札などが兼用ケースに収められています。サイズは高さ約20cm、幅約18cm、奥行き約7cmです。お部屋のインテリアとして、戦国武将好きな方やフィギュアのコレクションをされている方におすすめします。

武将の佇まいをよく醸し出していると思います。この信長だけ「天下布部」の扇子が付属されていて、信長好きの私はとても気に入っています。

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織田信長の兜が現在も見られる場所3つ

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
織田信長が着用した本物の甲冑や鎧は、今のところ現存しているかどうかは判明しておりません。しかし兜については本物と思わしき候補が現存しています。その幾つかについての情報をお伝えします。

1: 建勲神社

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
京都市にある「建勲神社(けんくんじんじゃ、たけいさおじんじゃ)」は、明治2年(1869)に明治天皇の御下命によって創建された神社で、織田信長をお祀りしています。この神社には、かつて織田信長が着用したと思われている「紺絲威胴丸具足」という具足が奉納されています。

元々は信長の二男である信雄(のぶかつ)、その五男にあたる高長(たかなが)を祖とする柏原(かいばら)織田家に長く伝来していたものとされています。

2: 興聖山總見院

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
總見院(そうけんいん)は、愛知県清須市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、織田信長ゆかりのお寺として知られています。織田信長の息子である信雄(のぶかつ)が、亡き父を弔うために建立させたとされています。このお寺には、織田信長の「焼け兜」と呼ばれている兜が奉納されています。

本能寺の変直後、焼け跡を捜索させて探し当てた兜とされ、その他の鎧や装飾品はすべて焼け落ちたり紛失しています。

3: 丹波市立柏原歴史民俗資料館

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
兵庫県丹波市柏原という小さな城下町に「柏原歴史民俗資料館」があります。この柏原という場所は、織田家所縁の地とされていて、織田信長の二男である信雄(のぶかつ)が住んでいたということから、織田家に残された文化財に匹敵する遺品が常設されています。

その中に、信雄が所用していた「黒糸威二枚胴具足」が寄贈されています。ただしそれが信長本人の所有だったかどうかは明らかでなく、あくまでも候補とされています。

織田信長の鎧について知ろう

織田信長の鎧として有名な南蛮胴の特徴8つ|実在する兜3つ
以上、戦国の最強武将とされる織田信長、およびその甲冑や鎧、兜の特集でした。南蛮銅が日本に誕生した年代と織田信長の生きた頃とが、今のところ合致していないこともあり、歴史の謎のベールに包まれたままです。それはそれでいろいろ調べてみると、興味深いエピソードなどがあって、ますます戦国武将などの歴史ものが好きな方にとっては趣が深いはずです。

ぜひ、織田家にまつわる遺品などを巡って出かけてみてください。

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