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2018年12月26日

うつくしい春の俳句33選|有名な俳人・よく使われる季語

日本が誇る世界一短い詩歌である俳句には、多くの名句が存在しますが、この記事は、うつくしい春の俳句33選についての記事になります。33句のうつくしいと思われるポイントや拝啓などについての解説の他、誰もが知っている有名な俳人についても解説しています。

うつくしい春の俳句33選|有名な俳人・よく使われる季語
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春の俳句とは

俳句とは、日本が誇る、5・7・5の17音で構成された世界一短い詩歌と言われています。その詩の中には、季節の言葉を表す、「季語」と呼ばれる言葉を入れるという決まりが存在しています。それぞれの季節ごとに季語が存在しており、春を表す季語の入ったものが、春の俳句として扱われます。

よく使われる季語

季語は、俳句の季語の辞書とも言える、「歳時記」という本に収められており、春、夏、秋、冬、新年といった構成で編纂されています。春の季語には、桜や梅などの植物や、燕などの動物、ひな祭りは花祭りなどの行事、朧などの気象や、春に亡くなった個人の忌日など、多くのものが収められています。

特に、桜の花に関連した季語は多く存在し、「花筏」や「花の雲」など情景を季語としたものなど、桜に関係した季語は多く使われます。

うつくしい春の俳句33選

日本の四季の中でも、最も花鳥風月を楽しむことができ、華やかな季節でもある春の季語を使った、うつくしい春の俳句は数多く存在します。そんなうつくしい春の俳句の中から、よりすぐりの33個の俳句を挙げて、解説します。

1:観音のいらか見やりつ花の雲

松尾芭蕉が1686(貞亨3)年、深川の芭蕉庵にて病気で寝ていた時に作られた俳句と言われています。「深川の芭蕉庵から、浅草観音(浅草寺)の方向を遠く眺めたら、咲き連なった桜並木の中に観音堂の大屋根が黒く小さく見えた」と言う、光景を詠んだ句で、作中にある「花の雲」という言葉が、春を表す季語となります。

花の雲とは、桜が爛漫と咲き雲がたなびくように見えるさまを表現した、春の俳句ではよく使われる季語です。

観音のいらか見やりつ花の雲 俳句出典

出典: http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/kan... |

2:咲き乱す桃の中より初桜

同じく松尾芭蕉の作品ですが、作句年が不明のため、1684(貞亨元)年から(元禄7)年の間と推測されています。爛漫と咲く桃の花の中に、桜の花が咲いている姿を見つけた喜びを詠んだ句です。この時代、山桜や八重桜など遅咲きの品種が主流だったため、ヤマモモの花の方が先に咲くのはよくある光景でした。

初桜とは、その年の最初に咲いた桜を指す春の季語で、咲き始めた一輪二輪を見つけた喜びを表す言葉です。

咲き乱す桃の中より初桜 俳句出典

出典: http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/mom... |

3:花咲きて七日鶴見る麓哉

こちらも同じく松尾芭蕉の俳句で、1686(貞亨3)年3月20日、鈴木清風の江戸屋敷で開かれた、歌仙の時の発句と言われています。「桜の花は咲いてから散るまでの期間も、鶴が降りた場所の留まる期間も7日と言われているが、清風の屋敷でその両方のある光景が見られ、なんと素晴らしいことか」という喜びを表した俳句です。

俳句では、ただ単に「花」と表記された場合、桜の花の事を指し、必然的に春の季語となります。

花咲きて七日鶴見る麓哉 俳句出典

出典: http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sei... |

4:梅一輪一輪ほどの暖かさ

芭蕉の門下生である、蕉門の中でも最古参のひとりと言われている、服部蘭雪の俳句です。「まだ寒さを感じるが、梅が一輪咲いて、それがほんの少しだけ暖かさを感じる、春の訪れは近い」という、小さな喜びを表現した一句です。同じ芭蕉門下の宝井其角と拮抗した実力者で、芭蕉没後、宝井其角と江戸俳壇を二分したとも言われています。

梅もまた、桜と並び俳句の兼題とされ、多く詠まれる季語のひとつです。

梅一輪一輪ほどの暖かさ 俳句引用

出典: https://blogs.yahoo.co.jp/sakuramitih15/40237396.html?__y... |

5:散る桜残る桜も散る桜

良寛の辞世の句とも言われている俳句ですが、禅語として解釈されることもあります。「散っていく桜もあれば、いまだ美しく咲き誇っている桜もあるが、結局最後には、どちらの桜も散ってしまう」という事を表した俳句です。

桜も人の命も、いずれ散っていくものであるが、必ず散ると決まっている人生の中で、いかにして生きるのか、また命とは何なのか、といった問いかけが聞こえて来るような、美しい春の俳句です。

散る桜残る桜も散る桜 俳句出典

出典: https://gakuen.koka.ac.jp/archives/635 |

6:菜の花や月は東に日は西に

江戸時代中期の俳人で、画家としても有名な与謝蕪村が、六甲山脈の摩耶山を訪れた時に作られた俳句と言われています。昼と夜の境目のしじまの中で、見渡す限りの菜の花畑を挟んで月が昇り日が沈む光景、そのような美しい光景に立ち会えた蕪村の感動が伺える一句です。

春の季語である菜の花は、当時の生活必需品であった菜種油を取るため、日本各地で栽培されていましたが、現在は菜の花畑の数も少なくなりました。

菜の花や月は東に日は西に 俳句出典

出典: http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/karuta/nanohanaya.htm |

7:春の海ひねもすのたりのたりかな

こちらも同じく与謝蕪村の詠んだ有名な俳句で、丹後国与謝の海を詠んだ俳句であるとも言われています。「ひねもす」とは一日中と言う意味で、「空はうららかに晴れ渡って、春の海には波が緩やかにうねりを描いては、一日中のたりのたりと寄せては返している」という光景を表した一句です。

「春の海」などのように、一年中みられる光景に季節を付けて季語とする表現は、多くの俳句において、よく見られる手法です。

春の海ひねもすのたりのたりかな 俳句出典

出典: http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/shiika_D7_1.... |

8:桜花何が不足で散り急ぐ

江戸時代の俳人小林一茶の俳句です。一茶と言うと、「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「ここへ来て割れと遊べや親の無い雀」などの俳句が有名ですが、こちらの桜への惜別を詠んだ一句も、一茶らしい、自然に対する畏敬の強い一句と言えます。

桜花何が不足で散り急ぐ 俳句出典

出典: http://sachiko-ken.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-81... |

9:春や昔十五万石の城下かな

近代俳句の第一人者、正岡子規が1892(明治25)年に詠んだ句です。「江戸幕府時代は、この地も十五万石の栄えた城下だったが、その春も今は昔の事か」という心情を詠んだ一句です。愛媛県松山市に住む人ならば、知らない人はいないと言われるほど有名な俳句で、JR松山駅前の広場には、この俳句の刻まれた俳句は、シンボルのように建てられています。

春や夏など季節そのものを表す言葉を、季語として使う例も多くあります。

春や昔十五万石の城下かな 俳句出典

出典: https://blog.goo.ne.jp/take10nbo/e/0446ac3f150a0e0a5603c5... |

10:毎年よ彼岸の入りに寒いのは

同じく正岡子規1893(明治26)年の俳句で、「母の詞自ずと句になりて」の前書きが付いています。子規が自分の母親に「彼岸なのに寒いね」と呟くと、「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と答えた、そんな日常会話のやりとりの中の、母親の言葉が五七五になっていることに気付いての一句と言われています。

一般的に歳時記の中では、「彼岸」は春の彼岸のことを指し、秋の彼岸は「秋彼岸」という別の言葉を用いて区別しています。

毎年よ彼岸の入りに寒いのは 俳句出典

出典: http://www.sekisuiji.sakura.ne.jp/houwa/houwa17.htm |

11:雪残る頂一つ国境

こちらは、正岡子規の1899(明治32)年の俳句です。「国境(くにざかい)の山のひとつの頂にのみ雪が残っている、もう春なんだなあ」という光景と心情を表した俳句です。この頃、正岡子規は既に病床にあり、故郷の伊予国(現在の愛媛県)の事を回想し、詠んだ句であると言われています。

単に「雪」と表記した時は冬の季語となりますが、「雪残る」あるいは「残雪」と表記した場合は春の季語となります。

雪残る頂ひとつ国境 俳句出典

出典: http://lalalan.com/haiku_kigo/node/13 |

12:春風や闘志いだきて丘に立つ

正岡子規の門弟である高浜虚子が、大正2年に発表した俳句です。吹き荒ぶ春風の中、これから厳しく困難な目標に立ち向かい、挑戦していくという、虚子の揺るぎない気持ちを感じ取ることのできる一句です。

明治後期、虚子が小説家になろうと俳句を疎かにしている間、同じ子規門下の河東碧梧桐を中心とする、新傾向派が勢力を伸ばし、そのことに対して危機感を持った虚子が、俳句界に戻るという決意を表した俳句でもあります。

春風や闘志いだきて丘に立つ 俳句出典

出典: http://koshisha.com/daily/?p=3612 |

13:鉛筆を落とせば立ちぬ春の土

こちらも同じく高浜虚子の俳句です。ふと落とした鉛筆が、土に刺さって立ったと言うところに、春の土らしい潤いのある思いを詠み上げている一句と言えます。春になり、土の凍った状態がゆるみ草が萌えてくると、春になったという感じが強くなります。特に雪に閉じ込められたような土地では、こういった気持ちがいっそう強くなります。

春の土は、「土恋し」や「土現る」、「土匂ふ」などと言った表現で季語として使われます。

鉛筆を落とせば立ちぬ春の風 俳句引用

出典: http://yasumasa.jp/2013/02/22/post_1952.html |

14:赤い椿白い椿と落ちにけり

同じく子規門下である河東碧梧桐の俳句です。「赤い椿が落ちている。赤い花かと思ったら次は白い花。ひとつだけでも色鮮やかだが、この赤と白の対比もまた鮮やかに目に映る」という光景を表現した一句です。

河東碧梧桐は、「子規門下の双璧」のひとりと言われ、高浜虚子と並び称されていましたが、後に俳句の作風を巡り、高浜虚子と激しく対立しました。

椿というと冬の花と連想されがちですが、俳句では春の季語とされています。

赤い椿白い椿と落ちにけり 俳句引用

出典: https://ameblo.jp/brmedit/entry-12350923493.html |

15:菫ほどな小さき人に生まれたし

正岡子規との交流のあった文豪、夏目漱石の俳句のなかでも有名な作品です。「小さな存在だが、懸命に生きる菫ほど愛おしいものはない、もう一度生まれ変わるのなら、周りの環境を気にせず、あどけなく咲く菫のように生まれたい」という、心情を表現した一句です。

東京大学予備門の学生時代から、正岡子規と交流のあった夏目漱石は、1895(明治28)年から1899(明治33)年もの間に多くの句稿を、子規へ送っています。

菫ほど小さき人に生まれたし 俳句引用

出典: http://chikata.net/?p=2883 |

16:まさおなる空より枝垂桜かな

明治から昭和にかけ活躍した俳人、富安風生の俳句です。枝垂桜の背景の青い空が青く晴れ渡っていて、見上げれば、その真っ青な空から枝垂桜が爛漫と咲き乱れ、落ちかかって来る情景と、作者の感動が伝わる一句です。

春の季語である桜にも多くの種類があり、枝垂れ桜や八重桜など、その種類を特定して兼題とする場合も多くあります。

まさおなる空よりしだれざくらかな 俳句引用

出典: https://blogs.yahoo.co.jp/akasakahiro/69090057.html?__ysp... |

17:春雷や刻来り去り遠ざかり

高浜虚子の二女で、女流俳人の星野立子の俳句です。干した洗濯ものを取り込みに来た、父高浜虚子の家で春雷を聞き、その後雨がぽつりぽつりと降り、やがて大雨となりましたが、その後雨は止み日も差してきた、そんな場面に遭遇した2日後、父虚子は眠るように息を引き取ったというエピソードがあります。

立子の句集「春雷」の中に収められている一句です。単に「雷」と書くと夏の季語になりますので、「春雷」と表記されています。

:春雷や刻来り去り遠ざかり 俳句引用

出典: http://koshisha.com/daily/?p=3616 |

18:ちる桜海あおければ海へちる

昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた、高屋窓秋の俳句です。「桜がはらはら散って海へと行くさまが見える」、あるいは「散りゆく桜は、青い海へと散っていくだろう」など解釈の分かれる俳句ですが、桜の淡い色と海の鮮やかな色の対比の効いた一句です。

高屋窓秋は、それまでの主流であった、写実主義や花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、その作風は、水原秋櫻子らによる新興俳句運動に大きな影響を与えています。

ちる桜海あおければ海へちる 俳句引用

出典: https://blog.goo.ne.jp/hitomikouhei/e/41181db2d8e254d2870... |

19:ものの種にぎればいのちひしめける

昭和初期の俳句新興運動を主導した俳人、日野草城の俳句です。「種を蒔こうとひとつかみ握ったら、その手の中に命のひしめきを感じた」という描写の一句です。「ものの種蒔く」は、春の季語ですが、必ずしも「ものの種」という言葉そのものでなく、「胡瓜の種蒔く」や「茄子の種蒔く」といった使い方も含めての季語となっています。

ものの種にぎればいのちひしめける 俳句引用

出典: http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?id... |

20:来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり

前述の新興俳句運動を起こした俳人のひとりである、水原秋櫻子の俳句です。前書きに「三月堂」と記載があることから、奈良東大寺の境内にある三月堂で詠まれた俳句で、度々訪れていた奈良の地にて、自分の来た道を眺めて詠んだ、風情と心情の共振の一句とも言われています。

馬酔木は「あしび」と読み、春の季語としてよく出て来る、常緑樹です。秋櫻子はこの句の他にも、馬酔木を兼題とした俳句をいくつか残しています。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり 俳句引用

出典: http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-2920.html?sp |

21:天よりも輝くものは蝶の羽

水原秋櫻子と同じく、新興俳句運動の指導者的立場であった俳人、山口誓子の俳句です。春のひかりの中で、蝶の翅が天よりも輝いて見えるという作者の思い入れが伝わる一句です。単に蝶と書いた場合は春の季語として使われ、蝶々、白蝶、初蝶、黄蝶、胡蝶、紋白蝶、山蝶など、同じように、春の季語として使われる蝶の付く言葉は多数存在します。

天よりも輝くものは蝶の翅 俳句引用

出典: http://yasumasa.jp/2007/04/10/20070410.html |

22:春泥に押しあひながら来る娘

高浜虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践し、山口誓子や阿波野青畝、水原秋櫻子らとともに「ホトトギスの4S」と称された、高野素十の俳句です。作者の前方からやって来た若い娘たちのグループが、陽気に会話を交わしつつ、互いの体を押し合うようにしてぬかるみを交わしている、そんな若い娘たちへの賛歌と、日に眩しい春の泥を対比させた一句です。

春泥に押しあひながら来る娘 俳句引用

出典: http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?id... |

23:校塔に鳩多き日や卒業す

人間探究派といわれた俳人、中村草田男の有名な俳句です。校塔は普段の生活において見上げることのない中、「卒業」と言う特別な日にふと見上げると、鳩がたくさん群れていたという詩的情景を詠んだ一句です。この句のように、卒業や入学など、日常の行事が春の季語として使われることも、多くあります。

校塔に鳩多き日や卒業す 俳句引用

出典: http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?id... |

24:燈を消せば船が過ぎをり春障子

同じく人間探究派と言われた俳人、加藤楸邨の俳句です。隠岐の島を訪れた作者が、宿屋で就寝しようと灯りを消したころ、海を行きかう船の燈火がぼんやりとうつっていた、という光景を詠んだ一句です。

障子と単に書いた場合、通常は冬の季語となりますので、「春障子」と書くことにより、春の季語としています。

燈を消せば船が過ぎをり春障子 俳句引用

出典: http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?id... |

25:バスを待ち大路の春をうたがはず

加藤楸邨、中村草田男と並んで、人間探究派と呼ばれた俳人石田波郷の俳句です。「バスを待っていると、日の光がうららかに照らし、木々はみずみずしく芽を膨らませ、人々が春の装いをしている、そんなこの大通りにも春が来た事を感じさせる」といった、描写が描かれた一句で、作者の観察眼が光っている作風であることが伺えます。

バスを待ち大路の春をうたがはず 俳句引用

出典: https://ameblo.jp/brmedit/entry-12020279096.html |

26:外にも出よ触るるばかりに春の月

昭和期の女流俳人、中村汀女の俳句です。黄色く美しい、昇ったばかりの春の月に感銘を覚えた作者が、家の中にいる家族へ「来てごらん、きれいなお月さまよ」と叫んでいる光景が、手に取るようにうかがえる一句です。

月は一年中あるものですが、単に「月」と書いた場合は、秋の季語とされてしまいますので、春の季語として使う場合は、「春の月」と表記します。

外にも出よ触るるばかりに春の月 俳句引用

出典: https://meiku.exblog.jp/17316663/ |

27:春空に鞠とどまるは落つるとき

同じく昭和の女流俳人、橋本多佳子の俳句です。この句に出て来る鞠とは、手鞠ではなく、野球のボールのようなものであると推測されます。空へと飛んで行ったボールが、もう少しで空へと吸い込まれ、見えなくなると思ったところで一瞬静止する、そんな瞬間を切り取り描写した一句です。

春空に鞠とどまるは落つるとき 俳句引用

出典: http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?id... |

28:春の夢見てゐて瞼ぬれにけり

同じく昭和の女流俳人である、三橋鷹女の俳句です。春の浅い眠りの中で見る夢は、何処となく儚い、センチメンタリズムのようなものが存在し、そのような夢の中から覚め、自ずと瞼が濡れてきた、そんな光景が伺える一句です。

三橋鷹女は、前述の星野立子、中村汀女、橋本多佳子らと並んで、昭和期に活躍した女流俳人の4Tと呼ばれています。

29:しゃぼん玉底にも小さき太陽持つ

近代の俳人篠原梵の俳句です。丸いしゃぼん玉の底にも太陽があることを発見したという、描写が俳句となっています。普段何気なく見ているものでも、違う角度から見ることによって新しい発見があるという感性も、俳人にとっては重要なセンスのひとつと言えます。

しゃぼん玉は「石鹸玉」とも書き、近代になって春の季語として、よく使われるようになった季語です。

しゃぼん玉底にも小さき太陽持つ 俳句出典

出典: http://yasumasa.jp/2008/03/01/post_109.html |

30:菜の花がしはわせさうに黄色して

昭和から平成に欠けて活躍した、女流俳人の細見綾子の俳句です。風に揺れている菜の花が、幸せそうに黄色く咲いているというさまを詠んだ俳句ですが、黄色が幸せの色である、菜の花が家族を表しているなど、多くの人が作品の解釈にその思いを込めていることが伺えます。

与謝蕪村と同じ菜の花を題材にした俳句ですが、これまでの写実主義とは一味違う、心温まる印象を受ける俳句となっています。

菜の花がしはわせさうに黄色して 俳句引用

出典: https://blog.goo.ne.jp/tsuji2020/e/4199ee2ced686165bf1153... |

31:チューリップ喜びだけを持っている

同じく細見綾子の俳句です。「春咲く花は皆明るいけれど、中でもチューリップは明るい、人間世界では、喜びは深い陰影を伴うことが多いが、チューリップは暗さを知らず、喜びそのもの、わが陰影の中にチューリップが灯る」という、前向きに明るく生きようとする作者の力強さを感じる一句です。

前述の菜の花の俳句と並びこの俳句も有名で、このような作風からか、細見綾子の俳句が好きという人は数多く存在します。

チューリップ喜びだけを持っている 俳句引用

出典: http://koshisha.com/daily/?p=1472 |

32:ゆさゆさと大枝揺るる桜かな

動物や自然を題材とした句作の多い、村上鬼城の俳句です。「桜の老巨木の枝が大きく揺れているその姿は、なんて豊かで見事な姿か」という、感銘を題材にした一句です。桜を題材にした俳句の多くは、はかなさを題材にすることが多いのですが、鬼城の俳句は、桜の量感を題材にしている点が、他の桜を兼題とした俳句と一線を画しています。

ゆさゆさと大枝揺るる桜かな 俳句引用

出典: https://jpnculture.net/haiku-haru/ |

33:眼にあてて海が透くなり桜貝

感覚的な比喩の表現が巧みな、松本たかしの俳句です。「砂浜に打ち揚げられた桜貝を、目に当て透かすようにして見ていくと、桜貝の美しさは一層増し、その向こうに海が透けて見えてくるようである」という、感性の一句です。

眼にあてて海が透くなり桜貝 俳句引用

出典: https://jpnculture.net/haiku-haru/ |

季語から俳句を知ろう!

俳句を作る上での必需である歳時記は、季語の種類や意味の解説だけでなく、その季語を使った代表的な俳句も記載されています。全国的な俳句大会を主催する、角川学芸出版から刊行された、「今からはじめる人のための俳句歳時記」は、俳句初心者にとって、うってつけの入門歳時記です

実際に俳句を作らない人であっても、俳句に触れる機会となるおすすめの歳時記でもあります。

有名な俳人

俳句の作者は俳人と呼ばれ、古今東西多くの人がその足跡を残しています。松尾芭蕉や正岡子規など、学校の授業で習うような、句作を主にしている人も存在していましたし、夏目漱石や芥川龍之介のように、文豪と呼ばれた人の中にも、俳句を残している人は多く存在します。

松尾芭蕉

松尾芭蕉は江戸時代前・中期の俳人で、俳句礎を作った人と言われています。「芭蕉」という名前は俳号で、本名は宗房と言い、「芭蕉」以外にも「桃青」などの俳号を名乗ることもありました。

当時は俳諧と呼ばれた俳句に、芭蕉独自の文芸性を加えた「蕉風」と呼ばれる形を確立し、その後の俳人たちに多くの影響を与えました。代表作の「奥の細道」をはじめ、数々の紀行文にも多くの俳句を残しています。

夏目漱石

「吾輩は猫である」や「こころ」など、多くの小説を書いた夏目漱石もまた、俳人としても名前を残しています。正岡子規の項で解説した「ホトトギスの中で「坊ちゃん」などの小説や俳句を発表しました。

東大予備門時代から、正岡子規との交流のあった夏目漱石の俳句は、子規の影響を受けたと思われる作風をうかがい知る事ができ、「いの字よりはの字むつかし梅の花」など、有名な俳句を数多く残しています。

正岡子規

歌人としての顔も持つ正岡子規は明治時代の俳人で、現在の基本となってる、写生を元に行う句作の形式を築いた人物と言われています。俳諧の新たな史的考察によって、俳句革新を志し、新聞日本で連載していた「獺祭書屋俳話」で俳句革新運動を開始しました。

病床へ伏せる身になって以降、「ホトトギス」を中心に俳句活動を行い、その門下には、高浜虚子や河東碧梧桐といった、後に続く有名な俳人が数多くいました。

お気に入りの春の俳句を見つけよう

長い冬の眠りから覚め、自然が謳歌する春を表す、春の季語とされる言葉は多く存在し、春の季語を兼題とした俳句もまた、多く存在します。俳句はわずか17音という限られた字数の中で、作者が言いたいことを表現している文芸ですので、小説などに比べると、多くの作品に触れることができます。

歳時記や句集など、多くの俳句が収められた本などの中から、お気に入りの俳句を見つけて、春を楽しみましょう。
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