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2020年10月09日

服忌令に定められた忌服期間を解説|忌服中に避けるべきこと5つ

更新日:2020年10月09日

服忌令は1684年(元禄時代)に制定された法令ですが、中世(平安時代末~室町時代)に神社(伊勢神宮など)が作ったものを参考にしたといわれています。近親者が亡くなった場合に、喪に服す日数を決めたものですが、昭和22年まで続き、忌引きの元になったといわれます。

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服忌令とは

服忌令とは、家族や近親者が亡くなった場合、何日間喪に服したらよいのかを決めた法律の事を言いますが、昭和22年に「服忌令」そのものは廃止されました。

服忌令は廃止されましたが、服忌令を基準にして現在の「忌引き」日数が定められています。服忌令は古い法律ですが、その意味や制定された背景を知ることで、喪に服すという意義が理解できると考え、ここでは服忌令をいろいろの角度から検証することにします。

服忌の意味

服忌は「ぶくき」あるいは「ぶっき」と読み、誰かが亡くなった場合、家族や近親者が喪服を着て一定期間身辺の行動を慎むという意味になります。

服忌は「服」と「忌」に分けられ、「服」期間中は故人を悼む気持ちを持って過ごし、「忌」期間は故人を祀る(花や供物を捧げるという意)期間と考えられています。

「服」は質素な衣類を着るという意味もあり、「忌」は死をけがれたものと考え、一定期間謹慎するという意味もあります。

服忌令が定められた背景

服忌令は江戸時代(1684年→5代将軍の徳川綱吉の時)に作られた法律で、それまで続いていた武力が基本の専制的な政治(武断政治)ではなく、儒学を基本とした政治(文治政治)を推進するために作られたという説があります。

江戸時代の4代将軍家綱・5代将軍綱吉・6代将軍家継の時代を文治政治時代といい、特に綱吉は学問奨励や儀式の整備な度に力を注ぎました。そういった背景があって服忌令が作られたという説が有力です。

服忌令が示した故人別の忌服期間

服忌令は、戦国時代から続いた戦乱の世も落ちつき始め、礼節や道徳観念を民衆に浸透させる狙いがあって作られたとされていますが、1683年に綱吉の子供が亡くなったことも影響しているという説もあります。

服忌令は昭和22年に廃止されるまで253年もの間、日本の法律として国民の間に浸透してきたもので、服忌令を基本として今の「忌引き」日数が決められています。以下で服忌令の詳しい日数を紹介ましょう。

父母の場合

服忌令は、生類憐みの令で知られる5代将軍綱吉の時代に作られた法律ですが、当時は生活苦のために、自分の子供や家族内の病人を平気で捨てる風潮があり、そういう風潮を戒めるために作られたのが、生類憐みの令ともいわれています。

そういう背景があってできた服忌令は、廃止されるまで3親等まで適用されました。父母が亡くなった場合の「服」と「忌」の日数は以下になります。

服(喪中)→13ヶ月
忌(忌中)→50日

義父母の場合

5代将軍綱吉の時代は、1646年〜1709年までの53年間続きました。服忌令は1684に制定されていますので、綱吉の時代の後半期に作られたことになります。この時代は元禄時代とも呼ばれ、1703年12月14日(元禄15年)の赤穂浪士による吉良邸討ち入りの話は有名です。

義を重んじた時代に作られた服忌令の、養父母の服(喪中)と忌(忌中)の日数は以下になります。

服(喪中)→150日
忌(忌中)→30日

夫の場合

服忌令は武家だけでなく、百姓や職人や町人にいたるまで、死や血に対して「穢(けが)れたもの」という考えを浸透させ、むやみに殺生を禁じる意味も持っていました。

服忌令は昭和22年に廃止されましたが、それまで日本では男尊女卑の傾向が続いていました。その傾向は夫と妻とで喪中や忌中の日数に違いがあることでも顕著です。夫の服忌は以下になります。

服(喪中)→13ヶ月
忌(忌中)→30日

妻の場合

服忌令は「喪に服する」ことと、死や血の「穢(けが)れを忌む」ことで、家族や近親者の死を悼み、喪に服する日数や、穢(けが)れがなくなるまで身辺を慎(つつし)む日数として定められました。

制定された当時は厳しく守ることを義務づけられていましたが、時代とともに変化してきています。それでも昭和22年に廃止されるまでは、一部ではある程度の習慣が残っていました。妻の場合の服(喪中)や忌(忌中)は以下になります。

服(喪中)→90日
忌(忌中)→20日

嫡子の場合

嫡子とは、直系の男子(嫡男)の子供として生まれた、一番上の男の子という意味ですが、正室と側室が存在した時代の名残の呼び名でもあります。つまり相続人の資格を持っている男子であり、正妻の産んだ男の子、あるいは単に家を継ぐ人という意味でも使われてきました。

嫡子の場合の服(喪中)や忌(忌中)は以下になります。

服(喪中)→90日
忌(忌中)→20日

養子の場合

嫡子は血の繋(つな)がりのある子供ですが、養子は「養子縁組」によって親子となった関係のことで、血の繋(つな)がりはありません。父親にとっては自分の血を受け継がない子であり、母親にとっては自分が産んだ子供ではない子になります。

養子縁組をする場合、夫の兄弟姉妹の子供であっても、妻の兄弟姉妹の子供であっても、養子縁組をしないとその子供に相続権は発生しません。養子の場合の服や忌は以下になります。

服(喪中)→30日
忌(忌中)→10日

兄弟姉妹の場合

服忌令は1684年に制定されましたが、9年間(1684年~1693年)の間に5回ほど追加されたり補充されました。生類憐みの令を敷いた綱吉ですが、生類憐みの令は、後年「悪令」とは言われていますが、もともとは生き物の命を尊ぶ令であったといわれています。

その根拠は服忌令が5回も見直された点に伺えます。兄弟姉妹の場合の服(喪中)や忌(忌中)は以下になります。

服(喪中)→90日
忌(忌中)→20日

異父母兄弟姉妹の場合

異父母兄弟姉妹とは、父親や母親が違う兄弟姉妹のことです。例えば母親が亡くなって父親が再婚し、弟や妹が生まれると、先妻の子供と後妻の子供の関係は異母兄弟姉妹になります。

また父親が亡くなり母親が再婚した場合、生まれた子供は異父兄弟姉妹になり、両親が離婚してそれぞれが再婚して子供が生まれた場合も同様です。異父母兄弟姉妹の場合の服(喪中)や忌(忌中)は以下になります。

服(喪中)→30日
忌(忌中)→10日

祖父母の場合

服忌令は父母以下の親族が亡くなった場合の忌(忌中)や服(喪中)の期間を定めたもので、忌中の間は外出を控え、魚や肉も食べないで、神社などへのお参りもしないで、喪に服すことをいいます。本人にとって親等の近い関係ほど、服忌期間は長くなります。

祖父母は血縁の2親等になりますので服忌令が適用され、服(喪中)や忌(忌中)の日数は、養父母と同じ日数になります。

服(喪中)→150日
忌(忌中)→30日

曾祖父母の場合

服忌令(ぶっきりょう)は、徳川幕府(5代綱吉の時代)に作られた法律ですが、元をたどると中世(平安時代末~室町時代)に、伊勢神宮などの神社で作成されたものを参考にしているといわれています。

曽祖父母の服忌令の適用になる服(喪中)や忌(忌中)の日数は、以下になります。

服(喪中)→90日
忌(忌中)→20日

孫の場合

孫は本人にとって2親等になりますから、当然服忌令が適用されました。服忌令の適用による服(喪中)や忌(忌中)の日数は、以下になります。

服(喪中)→30日
忌(忌中)→10日

叔(伯)父・叔(伯)母の場合

服忌令は、儒学者林鳳岡や木下順庵ほかによって作成され、1684年に制定公布された後、5回ほど改正されて、最終的に確定したのは1736年といわれています。明治になって改定されたものが、昭和22年まで施行(しこう)されました。

叔(伯)父・叔(伯)母の場合の服忌令の適用による服(喪中)や忌(忌中)の日数は、以下になります。

服(喪中)→90日
忌(忌中)→20日

従兄弟の場合

服忌令は江戸時代(元禄年間)に制定公布されてから、昭和22年に廃止されるまで、何度も改定をを繰り返しながら続いた法令ですが、これほど長きに渡って続いたのは、その根底に礼と義の精神があったからとも言われています。

従兄弟の場合に適用になる服(喪中)や忌(忌中)の日数は、以下になります。

服(喪中)→7日
忌(忌中)→3日

甥・姪の場合

服忌令が適用になるのは、親族の中でも3親等までとなっています。甥や姪の場合に適用される服(喪中)や忌(忌中)の日数は、以下になります。

服(喪中)→7日
忌(忌中)→3日

服忌令の全てがここに集約されています

ここで紹介する「近世服忌令の研究」は、近世の服忌令を分りやすく解明した初めての本と言われています。江戸幕府の服忌令の成立やその内容と適用などを知りたい人には一冊です。

1998年(平成10年)に出版された本なので、在庫切れの場合は、図書館などで読むことができるでしょう。

忌服期間中に避けるべきこと5つ

服忌令は昭和22年に廃止されていますが、忌中や喪中の習慣はいくつか残っています。

時代の流れや法令の廃止とともに、習慣や風習も様変(さまが)わりしていますが、現代もまだ日本には、服忌令の名残りと言える風習がいくつか残っています。ここではそれらを紹介します。

1:慶事への出席

忌中(仏教では四十九日間)と喪中(一年間とされています)の間は、お祝い事への出席は遠慮するのが常識とされています。

結婚式などの招待を受けた場合は、喪中であることを説明して、丁重に辞退するのが良いでしょう。相手によっては気にする人もいるので、喪中期間中の慶事への出席は遠慮した方が良いとされています。

2:神社への参拝

神道(日本に古くからある神話や、やおよろずのかみを祀る信仰)においては、死に対して穢(けが)らわしい(避けたい)という考えが基本にあるので、氏神様への初詣でなどは控えましょう。

服忌令は廃止されていますが、喪中期間は神社への参拝はしないという風習はまだ根強く残っていますので、できるだけ風習に従った方が良いでしょう。

3:祭事への参加

日本では仏教の信仰とともに、先祖を敬うという考え方(神道)は根強いものがありますので、服忌期間中は、地域の新年祝賀式など、祭事への参加は控えましょう。

祭事への参加は、個人の判断で決めることですが、一般的に避けた方が良いとされることには従った方が良いでしょう。

4:年賀状の挨拶

服忌期間中(喪中は一年間)に年末を迎えた場合は、年賀状での新年の挨拶状は控えます。その代わり早めに「年賀欠礼状」を出すようにします。

「年賀欠礼状(喪中のハガキ)」は、どうしても出さなければならないものではありませんが、喪中の間は、新年をともに喜ぶことを控えるという意味で「年賀欠礼状(喪中はがき)」を出すのが礼儀とされています。

喪中のハガキは、遅くても12月の半ばまでには出すようにしましょう。

5:正月飾りやおせち料理

服忌期間中は、門松や神棚の正月飾り、おせち料理なども用意しないというのが習慣になっています。

最近は気にしない若者が増えてはいますが、長い間の習慣になっていることは頭に入れておきましょう。

江戸時代の服忌令が現在の忌引き日数の元となった

服忌令(ぶっきりょう)は江戸時代(5代徳川綱吉:元禄時代)に制定され、何回かの改定を繰り返しながらも、昭和22年の廃止まで続いた法令です。

現在忌引き(親族が亡くなった場合、葬儀に参列するために休むことが認められること)の元になっているのが、服忌令といわれています。
「お葬式ってものすごいお金かかるって聞いて不安に感じる。」
「そもそも何をしたらいいか分からない。」


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初回公開日:2019年01月10日

記載されている内容は2019年01月10日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

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